更新履歴

2007年度最終の更新はこちらです。
 ※2004年度分はこちら 2005年度分はこちら 2006年度分はこちら

2007/1/2
 新年明けましておめでとうございます。本年もまだいつになったら改装できるか分からない仮設住宅のままでしょうがヾ(^^;)よろしくお願い申しあげます<(_ _)>

 伊集院忠棟の隠れた子孫と伝えられる伊集院忠利女について新史料を見つけましたので追記をくわえました。マニアックな人ならそれなりに興味深いかも知れない?内容です。

2007/1/8
 島津御平(島津義久長女、島津義虎妻)をUPしました。新年最初なのでこのHP的には超大物・お年玉サービスネタです(^^;)

2007/1/14
 鎌田政近の最初の妻・稲留長秀女伊集院久以三女(久保平内妻)伊集院久武娘(田代兵右衛門妻)をUPしました。

2007/1/17 重要
 メールアドレスを変更いたしましたので、ご注意下さい。
 変更理由はaol副会長のテッド・レオンシスが問題のあるアイリス・チャン著『レイプ・オブ・ナンキン』の映画化を実現したことに抗議するためです。世界的企業の責任者が、妄想を史実として宣伝し金儲けに使うことに歴史サイトとして抗議いたします。
I protest Ted Leonsis publicizes a delusion as a historical fact and uses you as money-making.  (powered by yahoo!翻訳

2007/1/19
 島津忠清女島津氏(相州家)を微妙に訂正。…細かく新資料が後から出てきて結構困ったりしている(^^;)

2007/2/4
 佐多忠成の娘(島津忠良の次男・島津忠将の妻)をUPしました。

2007/2/7
 リンクから1件削除+1件追加
 「越前島津屋形」様がジャンル変更されたので外させていただきました。
 「カゴシマニアがいく」様を新規に追加させていただきました。

2007/2/13
 佐多忠成の娘の子供ということで、戦国島津を代表する猛将・島津忠将(島津貴久の弟)の長女(入来院重豊(14代当主)妻)次女(島津忠長妻)をUPしました。
 島津忠良の長女次女も結果として運命が見事に分かれてしまいましたが、この忠将の姉妹も嫁ぎ先によって幸不幸が見事に別れてしまったようです。

2007/2/25
 頴娃氏のお家騒動「証恩寺崩れ」に関わった3人の女性、樺山信久娘(頴娃兼堅妻)帖佐氏女(頴娃兼堅側室?)肝付兼続三女(頴娃兼有妻)をUPしました。謎の多いこのお家騒動、単なる家督争いというのではなくて、島津家内の権力争いとか、島津氏対肝付氏など、対立の様相が複雑に絡んでいるようにも思えますが…。

2007/3/11
 頴娃兼洪娘(島津尚久妻)をUPしました。

2007/3/17
 喜入氏関係の女性2名 佐多忠将娘(喜入季久妻)喜入久道娘(島津忠倍前妻)をUP。

2007/4/2
 伊東権頭娘(伊勢貞成妻)をUPしました。島津歳久側室・梅君が前の夫との間に儲けた女性です。異母妹の島津歳久次女も彼女も島津義弘に関わりの深い男性の元に嫁いでいるところからみて、義弘の影響下にあった女性達であるようです。最も義弟の伊勢貞昌が島津忠恒(家久)に重用されその後孫娘を19代当主・光久の正室に送り込むまで権勢を振るったのに対し、貞成は非業の死、間に産まれた子も余り出世した形跡が無く、完全に島津家にいいように扱われたというか、割を食わされたような。

2007/4/24
 対応ブラウザからnetscapeを外し、firefoxに変更します。

2007/5/2
 1ヶ月も更新さぼってしまい、申し訳有りません<(_ _)>
 島津忠直の娘2名 長女(島津忠栄妻)次女(上原尚演妻)をUP。ちなみにこの島津忠直、当然上杉謙信の家臣として有名なあちらの方ではなくて、島津豊久の弟(「島津忠仍」とか「東郷重虎」とか書かれている人物と同一、といっても同時代に「島津忠仍」はもう一名いるので更にややこしいが…)です。

2007/5/5
 5/4から5/5未明にかけて通算10000HITを越えることが出来ました。
 今までご来訪下さった皆様ありがとうございました<(_ _)>
 これからもの歩みのような更新になると思いますが(^^;)宜しくお願い申し上げます。

 10000HIT記念 島津義久三女(島津久保室 後 島津忠恒(家久)前室)の島津寿をUP。
…しかし、これ出したら後はあまり大物がいな(以下自粛)

2007/5/20
 新納忠充女(北郷忠虎正室)を修正。

2007/6/4
 本日より島津本宗家(※江戸時代に藩主になれなかった方の本宗家です(^^;)関係の女性をUPしていきます。
 島津勝久の最初の妻次の妻最後の妻?を取りあえずUP。

 ところで島津勝久は結果は名前倒れで、勝つどころか最後は薩摩から遙か離れた豊後まで逃亡して客死してます。その後、島津氏では分家を含めて「勝久」という名前を名乗った人物は管見ではいないようですが…やっぱり戦国時代後半以後の島津一門にとって「勝久」という名前、タブーだったのかしらヾ(^^;)

2007/6/6
 島津勝久の長女次女をUPしました。
 次女はなかなか興味深い(というかエグイ)生涯を送った女性のようですが、「一台」という呼び名は国上時通の娘(島津義久後室上臈)と同じです。「一台」というのはこの時代、奥仕えにおいて何かの意味があったのでしょうか。

2007/6/8
 島津勝久の長男・島津忠良(!)の妻・福永月甫娘をUPしました。

 勝久の長男が、あの日新斎と同名なのは単なる偶然ではなくて、勝久なりの嫌がらせだったような気がしますが、この経緯に言及している史料はないようですね。

2007/6/9
 島津勝久次男・島津久孝の妻・小笠原氏をUPしました。

2007/6/11
 2007/6/10終日〜6/11AM11:00頃までアクセスできない状態が続いていたようです。
 利用者の皆様に大変ご迷惑をおかけし、申し訳ございません。

 連絡手段をメールからメッセージボックスに変更いたしました。

2007/6/17
 島津勝久の曾孫・藤野忠恒娘(伊瀬地和泉守妻)と孫の嫁・亀山忠辰妻(禰寝弘祐娘)をUPしました。
 島津勝久関連のUPは取りあえず結。

2007/7/16
 大橋局UP。非常に興味深い女性なんですが、直接薩摩の島津氏と関係がなかったりする_| ̄|○
 後藤島津氏、細かく修正。

2007/7/26
 島津勝久関係の女性を一人忘れていました(汗)。島津忠良(勝久の長男)の娘(桂忠ム後妻)をUP。

2007/8/14
 久しぶりの大型UP。「島津本宗家(奥州家)」の系図です。

2007/8/20
 リンク関係を久々に見直してヾ(^^;)整理。
 旧国分市役所のHPは閉鎖したようなので削除しました。広報見られなかった方は残念でした。ダウンロードしていた私は勝ち組ヾ(--;)
 引っ越しをされていたHPがいくつかありましたので、変更しておきました。
 本能寺の公式HPを追加。

2007/8/28
 後佐土原島津家(島津以久の系統)関連の女性をUP。正室は遙か昔にUP済みなので、まずは側室3名 原氏の娘 松木氏の娘 岩本氏の娘
 「参考文献」、「宮崎県史」関連の入手について、修正補足。『宮崎県史叢書』は宮崎県から買えます…苦労してコピーしたのが、すごく損した気分_| ̄|○。

2007/9/3
 島津以久の娘 長女(北郷忠能正室)次女をUP。長女の方は後で補足いっぱいすると思います、たぶん。

 あと、誰か分かりませんが拙HPをyahoo!に推薦して下さった方がいたようで、カテゴリ登録されたようです。ありがとうございます<(_ _)> …というか、今でもyahoo!のカテゴリ検索からたどり着く人が結構多いのでそちらの方に驚いた…。ちなみに登録先はこちら

2007/9/8
 島津以久の孫・久信(忠仍)の妻達 池田秋宗の娘 隈元清右衛門の娘 中村清安の娘 をUPしました。久信やその子供達が島津家久(忠恒)の圧迫によりろくな一生を送れなかったので、その妻(母親)達である彼女たちもむべなるかな、と思うのですがそれすら伺う資料がないのですよね(T-T)

2007/9/9
 島津御平(島津義虎室)、一個だけですが大きな間違い(子供の数)を書いていたので修正しました…何で今まで気が付かなかったんでしょ_| ̄|○

2007/9/10
 リンクに桐野作人氏のブログ「膏肓記」追加。恐れ多くも相互リンクです(^^;)

2007/9/14
 リンクに鹿児島県出水市の「泰平寺」公式HP追加。

2007/9/15
 リンクに「南さつま半島文化」「さつま川辺」「藤陽文庫」を追加
 「南さつま半島文化」は伊作相州島津家の揺籃の地となった薩摩半島南部の史跡・習俗について詳しいサイトです。
 「さつま川辺」は現在の川辺町に特化して詳しいサイトです。
 「藤陽文庫」は島津朝久次女伊集院千鶴が政略結婚で嫁いだ久松松平家(松山藩)の歴史についての特化サイトです。…しかし以降もずるずると島津家との縁が続いてますね…延々と明治時代まで(苦笑)

2007/9/16
 リンクに「東福寺」公式HP、「姶良町歴史民俗資料館」「やさしい鹿児島すいすいナビ」を追加。
 「やさしい鹿児島すいすいナビ」は本体の観光公式HPより知りたい情報がまとまっているのでヾ(^^;)超お奨め。…京都とか神戸じゃこれに類するようなHP、ないみたいですね(´・ω・`)

2007/9/19
 家久(忠恒)の側室関係で鎌田政重の娘相良長泰の娘家村重治の娘に没年など追加補足。国上時通女(一の台)の墓所について追記。
 参考文献に「御祭祀提要」追加。

2007/9/21
 島津亀寿島津新城島津家久三女隈元清右衛門の娘中村清安の娘について追加補足。
 参考文献に「垂水島津家家譜」追加。

2007/10/2
 今年の7月〜9月に特別公開していた京都市東山区の大雲院へ行った話のUPを始めました。取りあえずさわりだけでごめんなさい

2007/10/4
 大雲院の話、少しだけUPしました。
 また、以前から構想していました(大層?)ファビコンを設定しました。まだ一部のページにしか表示できてない状態ですが追々追加していく予定です。ファビコンに使用した「近衛牡丹」についてはこちらに説明があります。
 ファビコンでお世話になった2サイトをリンクに追加しました。→綺陽堂 ファビコン・ジャパン

2007/10/5
 以前から懸案?になっていたリンク用のバナーを作ってみました。こちらにおいています。

2007/10/26
 多忙+病気のため、まとまった更新が滞りご迷惑を掛けております。

 「はじめに」に追記。中村清安の娘について追加補足。
 垂水島津家や新城島津家の女性やその子孫に関して、新城家ご子孫の一人である末川大史朗氏に御教示を賜りました。特に新城島津家に関しては今のところまとまった史料が刊行されていないため、末川氏の指摘で修正した個所が多数あります。改めて御礼申し上げます<(_ _)>

2007/10/27
 島津朝久の長女(種子島久時正室)をUPしました。久時との間には娘一人しか生まなかったのですが、この娘が伊勢貞豊に嫁いで生んだ娘が島津光久の正室になり、更に彼女が世子・綱久を生んだことで、彼女も藩主につながる女性として尊崇された…形跡はあまりないようです(^^;)

2007/10/28
 島津朝久三女(松平定行先室)島津亀寿国上時通娘(一の台)にちょっと追記。

2007/10/29
 「一臺」をUP。国上時通娘とも島津勝久の娘ともどうも別人らしい?謎の女性です。
 島津歳久長女樺山善久次女(島津中務大輔家久室)藤野忠恒の娘島津義久後妻新大夫あちゃちゃあふちおちゃちにちょっと追記。

2007/11/7
 リンク「島津氏の関連史跡」に1件「木崎原古戦場」様を追加いたしました。

2007/11/8
 google検索機能を表紙に導入しました。せいぜいご利用の程宜しくお願い申し上げます<(_ _)>

2007/12/2
 更新が滞り、実に申し訳ありません<(_ _)>
 年末でますます更新できそうにない_(。_゜)/ので大物?ネタ「新納忠元の妻」です。
 ところで彼女の父である「種子島時興」という人が種子島氏の系図「種子島家譜」にも記載がありません。情報をご存じの方はご連絡お待ちしています。


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