松木貞右衛門尉姉(島津以久側室)

生没年未詳

<略歴>
慶長頃の女性。島津征久(以久)の側室となり一男を儲けた。その後、以久が佐土原藩主になったときには人質役を断った嫁の島津義久次女に対し、自ら息子と共に率先して人質役を務めて江戸に転居。以久の死後、その功績を基に島津義久次女と激しい相続争いをした。
実家の松木氏は種子島の在地士で、文禄の太閤検地の際、垂水から転封させられた以久とはこの時点でつながりを得たと思われる。その後以久と同行し佐土原に移住。藩主外戚として代々家老を輩出するようになったが専横激しく、後に「松木騒動」を起こして排斥された。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
慶長4
5月29日
1599 島津以久の三男・堯舜坊(忠興)を種子島で生む 「諸氏系譜」忠将 忠興
「諸氏系譜」忠興 忠興
慶長15
4月9日
1610 夫・以久が京都伏見で死去
佐土原藩領の相続を幕府に訴えるも、突如相手側の島津忠仍が相続辞退し、息子・忠興が佐土原藩主となる
「諸氏系譜」忠将 以久、忠興
「諸氏系譜」忠興 以久、忠興
寛永14
6月11日
1637 息子・忠興が江戸で死去(享年39歳) 「諸氏系譜」忠将 忠興
「諸氏系譜」忠興 忠興

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