大橋局(後藤忠正女、後藤光次妾)

生没年未詳

<略歴>
天正〜慶長頃の女性。小田原北条氏の家臣・島津忠貞(「視聴草」では「島津隼人正某」となっている)の五男・後藤忠正の長女。
「視聴草」によると長じて徳川秀忠の正室・お江与の方に仕えたが、秀忠の手が着いたため、家康の意向により後藤光次の妾として下げ渡され、そこで後藤広世を産んだという。
下げ渡された先の後藤光次は「後藤庄三郎」の名前で有名な江戸時代初期の豪商。家康の側近として、慶長小判の製造など江戸幕府の貨幣政策に深く関わった政商である。ちなみに大橋局の実家と全く同じ苗字だが、後藤光次は京の金工家として富豪であった後藤四郎兵衛家に婿養子に入って改名した物であり、関係はないらしい


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・後藤忠正、母・舘三郎左衛門某(武田氏家臣)女
長女とされる
「視聴草」
天正12 1584 弟・後藤忠直誕生 「視聴草」
(年度不明
文禄4/9以降)
1595〜 徳川秀忠正室・お江与の方に仕える 「視聴草」
(年度不明) 秀忠の手が着き、身ごもったため、徳川家康の命により後藤庄三郎光次の妾として下げ渡される 「視聴草」
(年度不明) 後藤広世(二代目後藤庄三郎)を産む 「視聴草」

「後藤庄三郎由緒書」によると慶長11年(1606年)に後藤広世誕生とされる。但し、「由緒書」では大橋局を「青山氏」と書くなど差異がある。

後藤庄三郎については、このサイトを参考した。後藤四郎兵衛の分銅家業(馬場章氏HP)

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