禰寝重就女(島津勝久後妻)
生没年未詳
<略歴>
天文頃の女性。大隅の有力国人であった禰寝重就の女で、島津勝久が島津忠興女と離婚した後に向かえた正室。
しかし、彼女が長男・益房丸を産んで94日目に夫・勝久は鹿児島から逃亡したため、彼女も益房丸を抱えて実家の禰寝に逃亡せざるを得なかった。その後、益房丸は飫肥の伊東義祐を頼ったが、母の禰寝重就女の行方は不明である。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・禰寝重就 母不明 | 「諸氏系譜」亀山氏 忠良 | ||
天文4 7月5日 |
1536 | 勝久の長男・益房丸(後の島津忠良)を生む | 「諸氏系譜」亀山氏 忠良 | |
天文4 8月 |
夫・勝久が鹿児島より逃亡 重就女も益房丸と共に実家の禰寝に退去 |
「諸氏系譜」亀山氏 忠良 | ||
元和4 11月22日 |
1618 | 長男・忠良、大隅高山で死去(享年84歳) | 「諸氏系譜」亀山氏 忠良 |