伊集院忠利女(実は伊集院忠棟孫 伊集院久尚室)

生没年未詳

<略歴>
慶長〜寛永頃の女性。佐土原藩士・伊集院久尚に嫁いだ。
「諸氏系譜」伊集院久亮記載の”家伝”によると「母者自伊集院新右衛門忠利家来嫁、実忠利不骨肉親、養為女也、家伝曰、伊集院幸侃孫也、都之城降後漂泊於民間、時忠利在佐土原、以故主好憐密呼来隠深閨処、及年長以吾女妻久尚云々」とあり、実は伊集院忠棟の孫であったという。
忠棟長男・忠真は島津義弘次女・御下を妻としがいることから考えて、次男の小伝次の娘であったのではないか、と当初は考えていた。が、「薩藩旧記雑録 後編」3−114において
 「将又先書ニ幸侃かのや(=鹿屋、島津以久一族を指す)縁中之儀無分別由承候キ、是ハ菊寿(=後の島津忠仍(久信))と源次郎女子之事にて候哉、かのやハ又六(=入来院重時)之女子を縁中にと被存候処ニ、(以下略)」※下線当方補足
とあるところからみて、慶長元年の頃に源次郎=伊集院忠真に女子がいた可能性が高い。よってこの忠利養女の実父は伊集院忠真であったことも考えられ、また、伊集院忠真には島津御下との結婚前に別の妻がいた可能性もある。なお後考を期す。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父伊集院忠棟息子(忠真?小伝次?) 母不明 「諸氏系譜」伊集院氏 久亮
慶長4 1599 庄内の乱勃発
この後家族と離ればなれとなり流浪の身となる?
「諸氏系譜」伊集院氏 久亮
慶長7 1602 伊集院忠真、島津家久(忠恒)の命により殺害
その他忠真の兄弟、母親など一族も暗殺される
「旧記雑録」「島津世家」など頻出
(年度不明) 祖父の家老であった伊集院忠利に引き取られる 「諸氏系譜」伊集院氏 久亮
寛永9
2月9日
1632 久尚の長男・久亮を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久亮
寛永18
8月10日
1641 久尚の次男・通尊(後 冨田清右衛門養子)を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 通尊
(年度不明) 久尚の長女(後 島津久遐室)を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久尚長女
慶安元
4月13日
1648 久尚の三男・久屋を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久屋
寛文9
5月16日
1669 久尚の長男・久亮死去(享年38歳) 「諸氏系譜」伊集院氏 久亮
寛文9
5月22日
久尚の次男・冨田通尊死去(享年29歳) 「諸氏系譜」伊集院氏 通尊
寛文13
5月12日
1673 久尚三男・久屋死去(享年26歳) 「諸氏系譜」伊集院氏 久屋

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