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島津忠良女(樺山善久室、御隅)

永正9年9月29日(1512)/永正8(1511)年〜天正18(1590)年庚寅12月16日<享年79(80)歳>

<略歴>
島津家再興に尽力した島津忠良の次女。没年から逆算すると長女・島津御南と同年の生まれとなり、おそらく双子の妹だったと推測される。長じて「御隅」と名乗る(「旧記雑録」諸氏系譜樺山氏など)が、語源は不明。
島津貴久、義久に仕えた有力武将・樺山善久に嫁ぎ、2男2女に恵まれた。子供達はそれぞれ島津氏の有力武将となり、或いは島津氏と縁戚となり、樺山家の最盛期を形成した。彼女自体も島津本家に対してかなりの権力を持っていたらしく、死去に際しては義久より挽歌をもらったたった数少ない女性のうちの1人である(ちなみにそのうちの他の1人は島津義弘室・宰相殿)。『源氏物語』など文芸に長じ(「諸氏系譜」樺山氏忠助 など)、「和歌の一族」樺山家の妻にふさわしい女性であった。

<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
永正8 1511 薩摩伊作城にて誕生
父・島津忠良、母・島津重久女(御東)
「旧記雑録」諸氏系譜3忠興「忠良」
「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」
永正9
9月29日
1512 薩摩国伊作郡にて誕生 「樺山玄佐・島津御隅肖像画」(樺山久孝氏所蔵)
大永6頃 1526頃 15(16) 樺山善久(14歳)と結婚 「旧記雑録」諸氏系譜3忠興「忠良」
乳母など数人の供を連れ、小舟に乗って伊作浦を出港、川上忠克の道案内で夜道をやってきたという、押し掛け結婚であった 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」
天文6
7月28日
1537 26(27) 犬迫村川路山之門を弟・貴久より拝領する 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」
天文6丁酉 長男・樺山忠副を出産 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠副」
天文9 1540 29(30) 次男・樺山忠助を出産 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」
(年度不明) 長女・喜入式部大輔室出産 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」
天文17 1548 37(38) 次女・島津家久室を出産 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」
「旧記雑録」諸氏系譜3家久「家久」
弘治3丁巳
4月28日
1557 46(47) 長男・忠副が蒲生菱刈の戦いの傷が元で戦病死(享年21) 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠副」
弘治3 忠副の死をきっかけとして出家、尼となる 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠副」
「本藩人物志」
天正3
3月22日
1575 64(65) 甥・島津義久から大隅国小田名を安堵される 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「善久」
天正15年頃
正月
1587 76(77) 島津義久から年賀状をもらう 「旧記雑録」附録2−36
「樺山文書」408
天正17 1589 78(79) 在京中の次男・忠助に手紙を送る 「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」
天正18庚寅
12月16日
1590 80 死去 法号「通善周慶大姉」 「旧記雑録」諸氏系譜3忠興「忠良」
「旧記雑録」諸氏系譜1樺山氏「忠助」
79 大隅国堅利村にて死去 「樺山玄佐・島津御隅肖像画」(樺山久孝氏所蔵)

※1:誕生年は没年から逆算した「永正8年誕生」説と、樺山久孝氏所蔵「樺山玄佐・島津御隅肖像画」賛による「永正9年」誕生説がある。ここでは便宜上永正9年誕生説による年齢を先に、永正8年誕生説による年齢を後に()付きで表示した。

島津御隅の生年月日については、樺山久孝氏所蔵「樺山玄佐・島津御隅肖像画」を参考にさせて頂いた。ご使用の許可を快く下さった樺山久孝氏と、仲介の労を割いてくださった桐野作人氏に末尾ながら御礼申し上げます。

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