稲留長秀女(鎌田政近室)
生年未詳〜没年未詳(天正8年以前?)
<略歴>
天正頃の女性。島津義久、家久の家老だった鎌田政近に嫁ぎ、長男・政虎、三男・長継を産んだ。しかし、政近は天正8年に土佐一条氏女との間に長女を儲けているところから見て、三男出産後幾ばくも立たない間に亡くなったものと思われる。
父・稲留長秀は肥後・球磨の戦国大名である相良氏の分家の一流で、宮之城家・島津忠長の後見役を務めていた。夫・鎌田政近(天文14/6/26〜慶長10/9/1)は後に関ヶ原合戦後、徳川家康との折衝役として活躍した人物。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
永禄6 | 1563 | 鎌田政近の長男・又七郎(後の鎌田政虎)を産む | 鎌田氏系図 「本藩人物志」鎌田政虎 |
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天正4 | 1576 | 鎌田政近の三男・甚吉(後・稲富長秀養子、稲富長継)を産む | 鎌田氏系図 | |
天正13 8月10日 |
1585 | 鎌田政虎、阿蘇花山城の戦いで戦死(享年23歳) | 鎌田氏系図 | |
慶長5 9月15日 |
1600 | 稲富長継、関ヶ原の戦いで戦死(享年25歳) | 鎌田氏系図 |