島津忠将女(島津忠長室)
天文23(1554)年甲寅8月27日〜寛永4(1627)年丁卯2月8日<享年74歳>
<略歴>
島津貴久の同母弟・忠将の次女。後に従兄弟に当たる島津忠長の妻となり3男1女を儲ける。忠長は島津義久の家老を勤め、関ヶ原の合戦の後徳川家康との折衝に当たった重臣。夫の戦死にも会わず、島津家の女性としては比較的恵まれた生涯を送った。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
天文23甲寅 8月27日 |
1554 | 1 | 誕生 父・島津忠将、母・佐多忠成女 | 「諸氏系譜」忠将 忠将次女 「諸氏系譜」忠興 忠将次女 |
(年度不明) | 島津忠長と結婚 従兄弟同士の結婚であった |
「諸氏系譜」忠将 忠将次女 「諸氏系譜」忠興 忠将次女 |
||
元亀3 11月17日 |
1572 | 19 | 長女(後の島津豊久室→町田久幸室)を出産 | 「諸氏系譜」尚久 忠長長女 |
天正6 2月1日 |
1578 | 25 | 長男・菊寿丸(島津忠倍)を鹿籠で出産 | 「諸氏系譜」尚久 忠倍 |
天正9 4月22日 |
1581 | 28 | 次男・信龍丸(島津久元)を串良で出産 | 「諸氏系譜」尚久 久元 |
天正13 4月24日 |
1585 | 32 | 三男・堯仁丸(後 敷根頼幸)を出産 | 「諸氏系譜」尚久 頼幸 |
天正16 冬 |
1588 | 35 | 領地の異動により串良から東郷の地へ転居する | 「諸氏系譜」尚久 忠長 |
慶長11 | 1606 | 42 | 命により鹿児島に転居する | 「諸氏系譜」尚久 忠長 |
慶長14 3月2日 |
1609 | 56 | 長女死去(享年38歳) | 「諸氏系譜」尚久 忠長 |
慶長14 5月18日 |
長男・忠倍が病死する(享年31歳) | 「諸氏系譜」尚久 忠倍 | ||
慶長15 11月9日 |
1610 | 57 | 夫・忠長が病死する(享年60歳) | 「諸氏系譜」尚久 忠長 「旧記雑録」後編4−769、772 |
寛永4丁卯 2月8日 |
1627 | 74 | 死去 法号「楊窓<玄少>宣大姉」 | 「諸氏系譜」忠興 忠将次女 |
<墓所>
宗功寺跡(現・鹿児島県さつま町)