島津以久女(北郷忠能室)

天正20(1592)年〜寛文元(1661)年3月20日<享年70歳>

<略歴>
島津以久の娘で、庄内の乱後元服した北郷長千代丸こと北郷忠能と結婚。島津家の分家ながら一個の大名としての格式を持つ北郷家と結びつくための以久の政略結婚であったと思われる。
しかし、父・以久は京で急逝。夫・忠能も島津本宗家・島津家久の圧迫の中で寛永8年に亡くなると、若い息子達の後ろ盾として北郷家を切り盛りしていたと思われる。しかし、息子達も次々と早世し、島津家久四男・久直を実娘の婿養子として迎える事態に追い込まれる。更にその忠直も実娘との間に娘だけを儲けて早世し、今度はその孫娘に島津光久の息子を婿養子として迎えざるを得ない事態に追い込まれた。その中でも島津本宗家とは一線を画そうとしたが寿命には勝てず没。
その後、北郷家は後継者に恵まれず島津光久八男の忠智を養子として送り込まれ、更に苗字の北郷すら島津に改名させられてしまい、北郷本家は名実共に歴史から”消滅”した。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
天正20 1592 誕生 父・島津以久 母・原権兵衛女 「諸氏系譜」忠将 以久長女
「諸氏系譜」忠興 以久長女
(年度不明) 北郷家当主・北郷忠能と結婚 「諸氏系譜」忠興 以久長女
「諸氏系譜」北郷氏 忠能
慶長15
4月14日
1610 19 北郷忠能の長男・長千代丸(後の翁久)出産 「諸氏系譜」北郷氏 翁久
(年度不明
慶長16〜18)
1611
〜1613
北郷忠能の長女(後 北郷久直室)出産 「諸氏系譜」北郷氏 北郷忠能長女
慶長19
12月27日
1614 23 北郷忠能の次男・虎菊丸(後の忠亮)出産 「諸氏系譜」北郷氏 忠亮
元和元
12月
1615 24 長千代丸が島津家久の人質として駿府に出される 「諸氏系譜」北郷氏 翁久
寛永元
2月5日
1624 33 夫・北郷忠能死去(享年42歳) 「諸氏系譜」北郷氏 忠能
寛永5
7月20日
1628 37 長男・北郷翁久が鹿児島で死去(享年19歳) 「諸氏系譜」北郷氏 翁久
寛永11
2月10日
1634 43 次男・北郷忠亮が江戸で死去(享年21歳) 「諸氏系譜」北郷氏 忠亮
寛永11
10月
島津家久の四男・久直(母・島津忠清女)を長女の婿養子として迎える 「諸氏系譜」北郷氏 久直
寛永18
11月6日
1641 50 長女の婿・北郷久直が鹿児島で死去(享年25) 「諸氏系譜」北郷氏 久直
寛文元
3月20日
1661 70 死去 法号「花庭玉蓮大姉」 「諸氏系譜」忠興 以久長女

表紙に戻る 人名索引へ戻る 人名索引「し」に戻る