種子島時興女(新納忠元室)

生年不明〜慶長14(1609)年2月14日

<略歴>
島津家に対して武功著しかった新納忠元の妻。子供は3人いたが戦死したり若死にしたりして先立たれた。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生。父・種子島時興、母不明 「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
(年度不明) 新納忠元と結婚 「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
(年度不明) 長女(後有川貞眞室)出産 「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
天文23甲寅 1554 長男・忠堯出産 「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
(年度不明) 次男・忠増出産(?) 「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
天正11癸未
6月13日
1583 長男・忠堯が肥前深江にて戦死する(享年30歳) 「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
文禄元
8月20日
1592 島津義弘から夫・忠元経由で次男・忠増の安堵を知らされる 「諸氏系譜」新納氏 忠元 176
「旧記雑録」後編2−950
文禄3
6月8日
1594 島津義弘から夫・忠元経由で次男・忠増の安堵を知らされる(この頃忠増、「左京」から「弥太右衛門」に改名) 「諸氏系譜」新納氏 忠元 181
「旧記雑録」後編2−1319,1320
慶長8癸卯
8月25日
1603 孫(忠堯の遺児)・新納忠光病死(享年不明)
次男忠増の長男である忠清を曾孫・忠光長女と結婚させ跡を継がせる
「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
慶長9甲辰
5月7日
1604 次男・忠増病死(享年不明) 「旧記雑録」諸氏系譜1新納氏 
慶長14
2月14日
1609 死去。法名「笑蓮妙欣大姉」
辞世の句は”弥陀たのむ心さやけき有明の月もろともに西へこそゆけ”
「旧記雑録」後編4−674「忠元勲功記」
大口の天竜寺に葬られる 「旧記雑録」後編4−774「忠元勲功記」

<墓所>
新納忠元夫妻墓(鹿児島県大口市)
 ※夫婦並んで宝匡印塔が立ち、殉死者の墓塔と共に覆い堂で覆われているという異色の形式。

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