家村重治女(島津家久側室)
生年未詳〜寛永13年1月17日<享年未詳>
<略歴>
島津家久との間に寛永3年に十一女、寛永9年に十三女を産む。
家村氏は渋谷一族でこの当時は伊作(現鹿児島県日置郡吹上町)や諸県郡高岡郷(現宮崎県東諸県郡高岡町)在住の一族。
「本藩人物志」道釈伝 座頭了公の項に寄れば、桑波田孫六との戦いの時に貢献した僧侶・了公(13世渕脇寿長院)の後を嗣いだのが14世・家村大徳院重実であり、その息子が朝鮮出兵の際に島津忠恒(後に家久)に従った家村重治、重治の次女が鹿児島城奥御殿で納殿役として奉公していたところを家久側室にされたという。
※このHPの採取方針から外れるが、島津家久側室と言うことで特別に記載。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
寛永3丙寅 7月15日 |
1626 | 家久の十一女(後島津中務久茂妻)を出産 | 「島津氏正統系図」家久 | |
寛永9壬申 5月13日 |
1632 | 家久の十三女(後入来院石見守重頼妻)を出産 | 「島津氏正統系図」家久 | |
寛永13 1月17日 |
1636 | 死去(享年未詳) 法号「華窓貞春大姉」 | 「御祭祀提要」 |