参考文献

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 史料
 参考書籍・論文

※ここに挙げているのはこのHP全体で参考としている資料や書籍類です。
 一部参考にしている物などは、その都度該当ページ内で紹介させていただいております。




史料

題名 所収史料名 出版元 解説
島津氏正統系図 『島津氏正統系図』 尚古集成館 島津家代々の当主やその直系の子供について詳述された系図で、初代忠久から最後の藩主・忠義の分までが掲載されている。
尚古集成館で購入可能…なのだが¥10000円(送料別)で異常に高い豪華本(;^_^A
寛永諸家系図伝 『寛永諸家系図伝』
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続群書類聚完成会 寛永18(1641)年、徳川家光が諸大名・旗本に命じて提出させた系図集。『寛政重修諸家譜』に比べると記述内容が簡略だが、年代が約150年さかのぼるだけ後世の粉飾は少ないのではと思われる。
寛政重修諸家譜 『寛政重修諸家譜』
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続群書類聚完成会 寛政11年(1799)、徳川幕府が諸家より家譜その他の資料を提出させ、その後14年をかけて完成した恐ろしく膨大な系図集。諸大名から旗本に至るまで、かなり細かく掲載されている。但し、天皇家、公家、また将軍家・御三家・親藩などの徳川家御一門衆などの系図は掲載されていない。また女性に関しては名前や生没年などほとんど記載されていない。
薩藩旧記雑録 諸氏系譜 鹿児島県史料』旧記雑録拾遺 諸氏系譜1〜3 鹿児島県歴史資料センター黎明館 「薩藩旧記雑録」とは江戸時代末期、薩摩藩の学者・伊地知季安が島津家や家臣団に伝わる古文書を年代別に編纂した史料。その中の「諸氏系譜」は島津氏一族の系図を集めた物。
1→伊集院氏、新納氏、樺山氏
2→川上氏、北郷氏、若狭島津家、越前島津家、知覧氏、町田氏、阿多氏、佐多氏など
3→伊作氏、忠良、忠将、忠興、尚久、歳久、家久、薩州用久、豊州季久、桂氏、喜入氏、源姓比志島氏など
薩藩旧記雑録 前編 鹿児島県史料』旧記雑録前編1〜2 鹿児島県歴史資料センター黎明館 上記「薩藩旧記雑録」の長久2年(1041年)〜天文23年(1554年)までの島津家に関する古文書を編纂した史料集。このHPの対象となる時代では、巻26からを編集した『鹿児島県史料旧記雑録前編2』が参考となる。
薩藩旧記雑録 後編 鹿児島県史料』旧記雑録後編1〜6 鹿児島県歴史資料センター黎明館 上記「薩藩旧記雑録」の弘治元年(1555年)〜寛永21年(1644年)までの島津家に関する古文書を編纂した史料集。
薩藩旧記雑録 附録 鹿児島県史料』旧記雑録附録1〜2 鹿児島県歴史資料センター黎明館 上記「薩藩旧記雑録」の前編、後編に採取できなかった史料を後からまとめたもの。年度の特定できていない文書が多いのが残念だが、島津家久(忠恒)から女性宛の書状が非常に多く採取されている。
薩藩旧記雑録 追録 鹿児島県史料』旧記雑録追録1〜8 鹿児島県歴史資料センター黎明館 上記「薩藩旧記雑録」の前編・後編の後の年代の文書をまとめたもので島津光久以降の資料が収録されている。当HPでは島津光久の時代の文書が収録されている追録1を主に利用している。
肝付氏系図文書写 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家分け2 鹿児島県歴史資料センター黎明館 大隅の戦国大名である肝付氏の本家についての系図。一部に関係文書も含む。いくつかの系図を編纂した物で、同じ系図が何回も出てくるため少々見にくい。内容自体は非常に簡潔。 
新編伴姓肝属氏系譜 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家分け2 鹿児島県歴史資料センター黎明館 大隅の戦国大名である肝付氏の本家についての系図と関係文書をまとめた史料。肝付本家は島津氏の配下に入った後に家督相続争いで衰亡したためか時系列が乱れており、非常に読みにくい資料である。しかし、南九州の複雑な戦国時代の事情を偲ばせる史料であることも確か。
肝付世譜雑録 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家わけ2 鹿児島県歴史資料センター黎明館 大隅の戦国大名である肝付氏の中でも、加治木(現鹿児島県姶良郡加治木町)に本拠を置き、島津家の重臣となった一流の事績を年譜形式で編纂した史料で、特に戦国時代〜織豊時代の薩隅日の動向が分かる。文章の形式から見ると成立は江戸後期かと思われる。「桃外院殿年譜雑伝」とタイトルは違うが編纂目的は一体の物と考えられる。
桃外院殿年譜雑伝 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家わけ2 鹿児島県歴史資料センター黎明館 江戸初期の島津家の家老・肝付兼屋に関する紀伝体の記録。兼屋の妻は島津光久の同母妹であり、「薩藩旧記雑録」本編に載っていない記述も多い。
町田氏正統系図 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家わけ3 鹿児島県歴史資料センター黎明館 元禄年間に、鹿児島の大火で消失した旧町田家系図の代わりに新たに製作されたもの。当時町田本家は島津家久の子であった忠尚の系統になっており血統的な正当性に弱く、町田分家から根強い不満と批判があった。それを押さえ込むために系図の再作成が必要とされたと思われる。このように偏った観点から製作されている上に成立が後代になるのも不安点だが、他史料を参照している点も多く、また織豊時代以降は町田家独自の史料もありその点は参考に耐えうると考えられる。
種子島家譜 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家わけ4、8、9 鹿児島県歴史資料センター黎明館 戦国時代は種子島・屋久島など南西諸島を領有する戦国大名として、織豊時代以降は島津家の有力家臣として名を馳せた種子島氏の系図及び関係文書集。内容が江戸時代以降に極端に偏っている傾向があるが、「諸氏系譜」や「島津氏正統系図」に出てこない記述もあり、興味深い。
ちなみに原本は昭和20(1945)年の鹿児島市の空襲と昭和27(1952)年の失火によりほとんど消失したというのが残念である。
鮫島本「種子島家譜」 ぶどうの木出版
樺山文書 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家分け5 鹿児島県歴史資料センター黎明館 島津家の分家の一つである樺山家に相伝された文書を整理したもの。室町時代〜織豊時代の文書が多い。特に戦国時代の樺山家からは島津忠良に「息子同様」と扱われた樺山善久を出し、その夫人は忠良の次女・島津御隅であることもあり貴重な文書が多い。樺山家は和歌に長じた家柄であることから、京都の公家・文人関係からの手紙が多いのも特徴といえる。
藤原姓菱刈氏系図 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家分け7「菱刈文書」 鹿児島県歴史資料センター黎明館 大隅の有力国人であったが、島津氏に屈し、その後は有力家臣となった菱刈氏の系図。菱刈氏は江戸時代初頭に当主の早世が相次いだ為か系図が混乱し、この「菱刈文書」にも多数の菱刈氏の系図が所収されている。「藤原姓菱刈氏系図」は傍注から元禄頃の当主・菱刈重之がそれらの系図をまとめた物と考えられる。
末川家文書 家譜 鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」家分け11 鹿児島県歴史資料センター黎明館 島津新城の孫・島津久章に始まる新城島津家の家系図。新城島津家は島津義久の血統であったことから、本家の家督を狙っているとにらまれ、非業の死を遂げた当主があいついだ。更に、婿養子を迎えた久章の孫娘・仙千代が子供無く早世したため、義久の血統は断絶している。その後も家系としては続き、島津義久より伝領したと伝えられる「越前島津家」家系図を元に家運の再生を図ったがそれも果たせなかったという悲運の分家である。この家系図は享保で終わっており、文化年以降〜明治初年分は「末川家文書」(『鹿児島県史料』家分け11所収)に収録されている。明治維新以後に島津姓を棄て、末川姓となった。
諸家系図
諸家系図文書
『鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺」伊地知季安史料集3 鹿児島県歴史資料センター黎明館 江戸時代後期の鹿児島藩お抱え学者であった伊地知季安が収集していた資料の内、家臣の系図をまとめた物。島津氏の分家ではない家臣や、弱小家臣の系図などが多く所収されている。但し目次が不親切なので、お目当ての氏族の系図を探すにはかなり根気が必要。
御家譜 鹿児島県史料集』6「諸家大概」「職掌起源」「御家譜」 鹿児島県歴史資料センター黎明館 江戸時代に島津本宗家の家族について略伝をまとめた物。正室に関しては「島津氏正統系図」にも載っていない情報が多く非常に役立つ。
御祭祀提要 『尚古集成館紀要』5 尚古集成館 明治〜大正年間に島津家が先祖供養のためにまとめた覚え書き。現存するものは奥付に「大正10年」の年記あり。初代・忠久から29代・忠義までその墓の当時の所在地や戒名、生没年などが一覧となっている。歴代当主の妻妾や子供の一部、伊作家、相州家なども同様に記載されている。
諸家大概 鹿児島県史料集』6「諸家大概」「職掌起源」「御家譜」 鹿児島県歴史資料センター黎明館 江戸時代に鹿児島藩に仕えていた家臣の先祖について概略をまとめたもの。たまに他史料には見えない貴重な小ネタ記事がある。
本藩人物志 鹿児島県史料集』13 鹿児島県歴史資料センター黎明館 江戸時代末頃に戦国時代に島津氏に関わった家臣に関して人物別に記した人名辞典。
編纂者は不明だが、巻末に参考史料も明記され、内容も簡略にまとまって読みやすい。
家久公御養子御一件 鹿児島県史料集』15「備忘録・家久公御養子御一件」 鹿児島県歴史資料センター黎明館 江戸時代末期に薩摩藩の学者・伊地知季安が「島津家久(忠恒)が徳川秀忠の次男・国松(後の徳川忠長)を養子にしようとした事件」について、諸史料を駆使して考察したもの。島津家の女性に絡む知られざる江戸時代初期のお家騒動は一読の価値あり。引用史料の中には「薩藩旧記雑録」の中に入ってない物もあり興味深い。
薩藩旧士文章 鹿児島県史料集』18 鹿児島県歴史資料センター黎明館 幕末の薩摩藩士・岩切実知が主に戦国時代〜江戸初期の島津家家臣の書簡をまとめた物。「薩藩旧記雑録」に所収されていない手紙もある。
薩藩先公貴翰 鹿児島県史料集』19,20 鹿児島県歴史資料センター黎明館 幕末の薩摩藩士・岩切実知が主に戦国時代〜江戸初期の島津家当主関連の書簡をまとめた物。「薩藩旧記雑録」に所収されていない手紙もある。
入来文書 『The Documents of Iriki 入来文書』
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日本学術振興会
紀伊国屋書店
鎌倉時代より続く北薩の名族・入来院氏の所有文書で、後に東京大学史料編纂所所蔵になっていたところをエール大学教授・朝河貫一氏によって日本語より先に英語で紹介されたという曰く付きの文書。そのため日本中世史研究において最も有名な文書群となった。
『The Documents of Iriki』初版は1925年だが、その後1955年に日本学術振興会から、2000年にも紀伊国屋書店から再版されている。一部文書は東大史料編纂所のデータベース検索で見ることが可能。
朝河貫一氏については横浜市立大名誉教授・矢吹晋氏によるこちらのHPを参照されたし。
日新菩薩記 戦国史料叢書6『島津史料集』
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人物往来社 慶長2(1597)年、薩摩国加世田にあった島津忠良の菩提寺・日新寺の8世住職・泰円守見が、島津忠良の功績を伝えるために著した伝記。日新寺は島津忠良の菩提寺として建立された寺であったからと思われる。原本は寛政10(1798)年に日新寺が焼けたときに消失し、現在写本が島津忠良を祭神とする竹田神社に伝えられている。
日州木崎原御合戦伝記 戦国史料叢書6『島津史料集』
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人物往来社 成立年代・著者不明。元亀3年5月に勃発し、日向伊東氏が一気に衰退するきっかけとなった「木崎原の戦い」の戦記物語である。木崎原の合戦についてはこの他に「木崎原御合戦伝」(明治26年書)「木崎原御一戦参考」「木崎原」(嘉永2年3月書)「木崎原御戦記」(延享2年夏書)「木崎原御一戦参考」(寛政10年)等の写本が鹿児島県立図書館などに伝わっているが、成立年代は合戦が起こったときよりかなり後の物が多いようである。島津義弘の乗馬が85歳まで生き延びたなど少々伝説めいた話も所収されている。
惟新公関原御合戦記 戦国史料叢書6『島津史料集』
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人物往来社 本当のタイトルは「島津兵庫頭義弘関箇原陣始終大概記」だが明治以降の写本はこのタイトルになっている。奥書によると、島津家の御記録所が諸史料から関ヶ原の合戦に関する部分を収集編纂し、延享元(1744)年10月18日に完成して藩主に献上された物という。関ヶ原の合戦前後の史料は「島津家文書」にも大量の手紙等が残るが、肝心の合戦時の状況は史料がとぼしく、後世の編産物で脚色の可能性があるが貴重なものではないだろうか。但し、佐土原に到着したときの状況には他史料と矛盾がある。
庄内陣記 戦国史料叢書6『島津史料集』
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人物往来社 慶長4年(1599年)に勃発した庄内の乱について書かれた、おそらく元禄頃に成立したと思われる軍記記録物。著者不明。庄内の乱について書かれた軍記記録物としては他に「庄内軍記」(延宝4年(1676年)成立)もあるが、残念ながら後半が欠けている。この「庄内陣記」も残念ながら乱終了後の慶長5年以降の記事については項目だけで本文がない。しかし、戦国後期の戦闘の実像を偲ばせる史料ではある。「薩藩旧記雑録」所収の手紙・系図類でははっきりしない伊集院忠棟一族の構成もおぼろげながら分かる。
現在鹿児島県立図書館に伝わっている伝本には伊集院忠棟一族の系図が付いているが、『島津史料集』にはその系図が所収されていないのは残念。
宮之城島津家系図 『宮之城町史』別冊 宮之城町 島津貴久の異母弟・尚久に始まる「宮之城島津家」の系図。『鹿児島県史料』所収「諸氏系譜」尚久一流の系図とほぼ同じ内容だが、「諸氏系譜」版には入っていないデータもある。
原本は宮之城島津家所有、『宮之城町史』別冊に翻刻所収。
佐志島津家系図 『宮之城町史』 宮之城町 島津忠清(島津義弘五男)→島津久近(島津久元次男)の後裔を称する島津家分家・佐志島津家の家系図。実際の佐志島津家成立は島津忠清、久近の没後かなりの年月を経た後のことであり、実質最初の当主は島津御下であった。通常系図は漢文体で書かれるにも関わらず、この系図は漢字仮名交じり文という異様さが佐志島津家の発祥を物語る。
原本は旧宮之城町(現さつま町)教育委員会所蔵。『宮之城町史』に最初の一部分だけが掲載されている。
垂水島津家家譜 『垂水市史料集』6 垂水市 島津忠将→以久→彰久→久信(忠仍)…系統の島津氏の有力分家「垂水家」の家系図。彰久は島津義久次女・新城を正室とし、その間に生まれた久信は島津亀寿の後押しで島津忠恒(家久)と後継者争いをしたといわれる曰く付きの人物。その後は本宗家に圧迫されるが、その複雑な経緯が伺える貴重な史料である。
史料集に収録されたのは写しで、垂水市教育委員会所蔵(旧・町田二次蔵)。原本は垂水島津家所蔵と思われるが、垂水島津家が断絶したとも言われる現在、その所在は未詳である。
国分諸古記 『国分郷土誌』資料編 国分市 国分衆中(郷士)であった野村氏代々伝来の資料を一冊にまとめた物。江戸初期の当主・野村能綱は島津義久のあつかい役を務め、その死後は娘の亀寿に仕えた。そのため、その私生活を伺い知る資料や、現在は廃仏毀釈などで消息不明となった文化財に関する記述など貴重な話が多い。
南藤蔓綿録 『肥後国史料叢書』3
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青潮社 相良家家臣である「梅山無一軒」こと西昌盛が文化年間に相良氏の初代から享保年間に亡くなった23代頼福までの歴史をまとめた編纂書。成立が江戸時代の中頃に下るという欠点はあるが、相良氏は何度かの大火で家伝を消失しているらしく、「南藤蔓綿録」は同じ編纂史料である「求麻外史」とともに相良氏側から書かれた貴重な歴史資料である。相良氏は島津氏ともかなり関わりがあり、島津氏側史料には出てこない話も所収されている。但し、薩摩藩初代藩主の島津家久と息子の島津光久を混同したりするなど多少あやしい点もあるので、その点は割引く必要があるかも。
志岐文書 『熊本県史料』中世編4
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熊本県 「天草五人衆」と言われ天草諸島で勢威をふるったが、その後没落し鹿児島藩士となった志岐氏の関係文書。長らく行方不明となっていたが、地元の郷土史家により東京で文書が発見された感動的な経緯についてはこちらをどうぞ。
日向記 『宮崎県史叢書』「日向記」 宮崎県 日向の戦国大名・伊東氏の、江戸時代初期に成立した編纂歴史書。伊東氏は天正初期に島津氏との戦いに敗れて日向を離れたために、それまで伝えていた史料をほとんど失うことになり、新たに家史を編纂する必要があった物と思われる。内容は寛永以前、特に伊東義祐、伊東祐兵の記述に多くが割かれており、江戸時代に伊東家の本家となった義祐→祐兵の系統を顕彰する目的があったと考えられる。よって、記述内容は割り引いて読まなければいけない部分もあるが、島津氏と対立していた一族の史料だけに貴重。
島津氏に対しては隣国の敵であった時期が長かったために厳しい記述が多いが、何故か島津義久に関しては「日向記」10−5に出てくる「土佐入道妻子に財物をつけて送り届けた話」等、比較的好意的に書かれている。
伊東氏大系図 日向の戦国大名・伊東氏の系図で、正式名「南家伊東氏藤原姓大系図」。巻末の「伊東家譜跋」によれば成立は宝永5年12月、編纂は伊東家家臣・山田宗武。その後、明治初年まで追記がなされている。
成立が江戸中期になるが、「日向記」「寛政重修諸家譜」等では不明な女性の名や没年なども記載されている。
現在、原本は伊東祐昭氏所蔵、明治初年の謄写本が東大史料編纂所にある。活字化はされていない模様。
久松家譜(伊予松山) 『松山市史料集』
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松山市役所 遠江掛川→伊勢桑名→伊予松山と移った譜代の大藩・久松松平家の紀伝体の家系図。
東大史料編纂所hpでも「データベース検索」から内容のイメージ画像を見ることが出来る。
松山叢談 『予陽叢書』「松山叢談」
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臨川書店(再版) 明治初期に編纂された、伊予松山藩関係の歴史逸話集。

 『鹿児島県史料』は古本でも購入は難しい、県立中央図書館レベルで置いてあるところが多いかも。
   余剰のある分については巖南堂書店(東京都)か春苑堂書店(鹿児島市)で有料頒布されている。
 『鹿児島県史料集』は2009年現在鹿児島県立図書館での購入が不可能となりました。お近くの図書館に所蔵のある場合はそこでのcopy依頼をお奨めします。詳しくはこちらを。
 『熊本県史料』、戦国史料叢書、『肥後国史料叢書』、『松山市史料集』、『予陽叢書』は現在入手困難。図書館で見るか古書店で購入するのがお勧め。
 「あつかい」は「口」編に「愛」と書く


参考書籍

タイトル 著者 出版社 発行年 解説
薩摩島津氏
『戦国史叢書』10
三木靖 新人物往来社 1972 戦国時代の島津氏の興隆から挫折までを、様々な角度から捕らえた本。内容は一般向けではなく、どちらかというと論文集である。また、絶版になってからかなりの年月が流れており、古本屋でも入手は困難。島津運久の隠し子の話など、一般には知られてない興味深い話が載っている。
島津義弘の賭け
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山本博文 中公文庫 2001/10 島津家の女性の話はほとんど出てこないが(^^;)、織豊末期の島津家の状況を理解するのに入門書として。
島津義弘のすべて
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三木靖(編) 新人物往来社 1986/7 複数のコラムから成る島津義弘の伝記本なのだが、義弘の妻子に関して詳しく論述されており、参考となる。
絶版のため、古本屋での購入か、図書館で借りるのがいい。
鹿児島県姓氏家系大事典
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角川書店 1994/11 鹿児島県の著名な姓に関してアイウエオ順で詳細に説明されている辞典。
その他に前書きとして市町村別に歴史概説があり、島津家の女性に関しても所々で言及されている箇所がある。
かなり高額の本なので、図書館で読まれるのがよいかと。
「さつま」の姓氏
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川崎大十 高城書房 2000/3 上記『鹿児島姓氏家系大事典』の編纂に関わった川崎大十氏による薩摩藩居住者の姓と直系系図をまとめた膨大な事典。と言ってもこれでも採取した中の2/3の姓しか扱ってないらしい。『鹿児島県姓氏家系大辞典』では分かりにくい人間関係とかはこちらでフォロー。データの出典が分かりにくいのが難点か。ちなみに¥17000の超高額本である。
宮之城町史(附 別冊) 宮之城町 2000/6 現在は合併してさつま町になったが、宮之城を領した島津歳久、宮之城島津家佐志島津家や渋谷氏、祁答院氏などについて諸史料を用いかなり詳細な記述がされている。
残念なのはあの国立国会図書館にも所収されておらず、他都道府県の図書館でもまずお見かけしない稀覯本な事。私も鹿児島から取り寄せて読みました(^^;)
別冊に「宮之城記」「祁答院記」「宮之城島津系図」翻刻所収。
加治木郷土誌 加治木郷土誌編纂委員会 1992
(初版1966)
島津義弘の隠居地でもあった加治木町の町史。義弘や加治木島津氏について詳しいのだが、島津家久(忠恒)が一時期鹿児島から加治木へ居城を移していたような書き方がされている(実際はそんな事実は確認できない)など、内容には問題点が散見される。
加世田市史 加世田市史編纂委員会 1986 伊作島津家の本拠があった加世田市の市史。市史と言うが内容は物語調で読みやすい。一方で出展史料がはっきりしない曖昧さが残念である。特に島津忠良周辺のデータに関しては詳しい。
国分郷土誌
(上、下、資料編)
国分市 1997 島津義久と島津亀寿が晩年を過ごした「国分城」(舞鶴城)があった国分市の郷土誌。歴史記述は比較的少な目だが、『資料編』には「薩藩旧記雑録」にも所収されなかった多数の貴重な史料を収録。
戦国大名閨閥事典
amazon〈第3巻〉
新人物往来社 1996/11
〜1997/1
戦国大名の婚姻関係を網羅したほぼ唯一の事典。項目は各大名家別になっている。当主とその妻、娘の略伝を掲載。但し、残念ながら島津家に関しては基本的なところで致命的な間違いが幾つかある。この点を割り引いても貴重なデータを提供していることには間違いない。
全3巻で1巻が¥9800もするので図書館で借りられるのをお薦め。
地方別 日本の名族
amazon 九州編1
amazon 九州編2
新人物往来社 1988/11
〜1989/12
「日本の名族」と銘うっているが、中身は戦国時代に覇を競った大名についての略伝である。九州の大名は11巻、12巻で特集されている。菊池氏、少弐氏など現在では知名度が低いと思える大名についても諸史料を駆使して詳細に検証されていて、文末には系図も付いている。女性に関する記述は氏族によってばらつきがあるのが残念。個人的には大友氏(大分)、宗氏(対馬)、尚氏(沖縄)が秀逸と思う。島津氏に関しては『鹿児島県の歴史』(山川出版社)などと重複する内容が多い。
現在は絶版なので、古書の購入か図書館で借りるのがお薦め。
戦国女系譜
上・下
amazon〈巻之1〉
amazon〈巻之2〉
楠戸義昭 毎日新聞社 1994/9
〜1995/5
島津家に関わらず戦国時代の女性に関する短評をまとめた本。マイナー武将の妻子についても言及されており、島津家に関心のない人にもお勧め。これも既に絶版のようなので、図書館で借りるのが良いかも。
戦国九州の女達
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吉永正春 西日本新聞 1997 福岡県在住の在野の戦国史研究で著名な吉永正春氏の本。
島津家では常盤(島津善久後島津運久夫人)だけが出てくるが、他のコラムもマイナーな人が多くて読み応えあるのでお薦め。
戦国の女たちを歩く
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田端泰子 山と渓谷社 2004 田端泰子氏は京都橘大学学長(2005年現在)で中世日本女性史の権威。主に戦国女性の足跡をたどるハイキングコースの紹介(^^;)と言った内容の本。島津家関連では島津亀寿島津御屋地が紹介されている。島津家の女性を扱っている珍しい物なので一押ししたいのだが、内容には女性史の権威とは思えない錯誤があり、そのまま引用するのは躊躇する。あくまで読み物としてのご利用をお薦め。
鹿児島のキリシタン
(改訂版)
結城了悟 春苑堂書店 1987 結城了悟氏は元々スペイン人宣教師で後に日本に帰化。キリシタン研究の第一人者で、これはキリシタン関係論文でも言及の少ない鹿児島のキリシタンに注目した本である。未だに日本語に翻訳されていない分の「イエズス会日本書簡」邦訳が載っていたりする。絶版なので図書館で借りるのが良いかと。古書では滅多に出回ってないようです。

 参考論文類

題名 著者 掲載雑誌 解説
持明夫人 桃園恵真 『鹿児島大学法文学部研究紀要』1 戦国島津を代表する女性・亀寿姫の生涯についてまとまっている論文。
島津義久の孫達 中野喜代 『歴史研究』475 「島津義久の孫達」というタイトルだが、触れられているのは島津義虎と島津御平の間の子供についてだけで、島津新城の系統である垂水島津家のことは全く語っていないと言う、なんとも片手落ちの論文。『歴史研究』自体が在野の歴史マニアの小論を載せることを目的としている雑誌なので致し方ない面もあるか。最も島津義久の子女については詳しい論文が少ない中、実はこの論文がきっかけで分かったことも少なくはない。
殉教者カタリナ永俊と島津家 木村フジエ 『純心学報』2 鹿児島藩2代藩主・島津光久の祖母である永俊尼(カタリナ)についての論文。昭和46(1972)年に書かれた物のため、現在ではさすがに内容の古さが隠せないが、とりあえず一読をお薦めする。一部史料については引用元が不明瞭など難があるのが残念。
ちなみに「その1」と副題が付いているがどうも「その2」はないらしい。
島津義久の娘達 長野ひろ子 『日本歴史』499 島津義久の3人の娘の概略についてはこの論文が手っ取り早い。が、元々長野氏は中世女性の所領研究が専門で島津氏の内部事情には詳しくないらしく、詳細には事実誤認がある。


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