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島津歳久女(北郷三久室 後 伊集院久洪室)

天正7(1579)年己卯2月1日〜元和元(1615)年乙卯2月26日<36歳>

<略歴>
島津歳久次女。母は側室の新納忠堅女(通称梅君)。当初、島津義弘・忠恒親子の信望熱い北郷三久に嫁いだが、その後不和となり離婚、伊集院久洪と再婚した、と系図にはある。
彼女が14歳の時に、父・歳久は豊臣秀吉の命によって殺害されるが、実母・梅君は日向に逃亡した。しかし、歳久次女の動向についてははっきりしない。その後結婚した北郷三久、伊集院久洪ともに島津義弘に関係が深いことから、歳久の死後は義弘に養われていたとも考えられる。
最初の夫・北郷三久は伊集院忠棟次女と結婚したが離別(死別?)し(「庄内陣記」)、その後上井覚兼の娘と結婚していたが死別した(「旧記雑録」諸氏系譜北郷氏)。上井覚兼女は慶長12(1607)年8月5日までは確実に存命しており、歳久女の結婚がそれ以降と推測すると歳久次女は数え29歳で初婚となり、この時代としては異様に晩婚だったことになる。おそらく、歳久次女は北郷三久が伊集院忠棟次女と離別後に後妻となったが、すぐ離婚したのでは無かろうか。ちなみに北郷家系図(「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏)には島津歳久女と北郷三久の婚姻記事はない。

<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
天正7己卯
2月1日
1579 祁答院の鶴田城で誕生 父・島津歳久、母・新納忠堅女 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」
天正20(=文禄元)壬辰
7月18日
1592 14 父・島津歳久が豊臣秀吉の命により殺害される
その後、母・新納忠堅女は鶴田城から日向へ逃亡
「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」
(年度不明、
慶長4〜)
1599〜 21〜 北郷三久に嫁ぐ 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」
(年度不明) 北郷三久と離婚、伊集院久洪と再婚する 「島津氏正統系図」
元和元乙卯
2月26日
1615 36 死去 法号「花屋妙香大姉」 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」

伊集院久洪は伊集院久信の長男・伊集院久族〔永禄6(1563)12月21日〜寛永10(1633)10月5日<享年70歳>〕と同一人物。伊集院分家出身だが伊集院本家を継ぐ。しかし子供がいなかったため島津家久の九男、十五男(二人とも牧胤親女出生)を養子とした。(「旧記雑録」諸氏系譜「伊集院氏」)。久族の父・久信は島津義弘の家老として多大な功績があった。


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