池田秋宗女(島津久信室)

生没年未詳

<略歴>
慶長〜元和頃の女性。垂水島津家の当主・島津久信との間に3子を儲けた。久信は最初島津家久三女を妻としていたが慶長13年頃に離婚しており、その後に向かえられたと思われる。しかし、3子の内の2子が早世、残った1子・久章も島津家の家督相続争いに巻き込まれて変死した。

島津氏には島津義弘に殉死した池田六左衛門貞秀など下級武士として池田氏が何名かいるが、全員が通字に「貞」を使っている。池田六郎左衛門秋宗は詳細不明。秋宗女は父の身分が低いと思われるため、側室であった可能性もある。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
慶長13 1608 久信の次男・又五郎(忠政)を生む 「諸氏系譜」忠将 忠政
慶長15 1610 久信の三男・千法師を生む 「諸氏系譜」忠将 千法師
元和元 1615 千法師夭折(享年6歳) 「諸氏系譜」忠将 千法師
元和2 1616 久信の四男・菊千代丸(久章)を生む 「諸氏系譜」忠将 久章
元和9
10月9日
1623 忠政早世(享年16歳) 「諸氏系譜」忠将 忠政
寛永16 1639 島津久章が京から突如逐電し高野山へ逃亡
捕らえられて幽閉される
「旧記雑録」後編6−128〜129、131〜132、149〜151
「薩藩旧士文章」106〜107
正保2
12月11日
1645 久章、幽閉先の谷山清泉寺で殺害される(享年30歳) 「諸氏系譜」忠将 久章

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