隈元清右衛門女(島津久信側室)

生没年未詳

<略歴>
寛永2年、島津久信の五男である越後守(後 次郎兵衛尉)久眞を産んだ。
実家の隈元氏及び父の隈元清右衛門については未詳。父の身分の低いことからみて側室であったと推測される。

久眞は久信の子ではおそらく唯一まともに生き残ったと思われる人物で、後に広瀬氏(島津義弘正室・宰相殿の養家)に養子に出されている。しかし、広瀬氏は垂水島津家とは全く関係がないことから考えて、かなり不審な養子縁組である。父・久信や兄達が次々と夭折・変死を遂げていく中で、卑母出生とはいえ唯一島津新城の血統を次ぐ子孫だったため動向を警戒されたものと考えられる。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
寛永2
5月7日
1625 久信五男・久眞(幼名未詳)を産む 「諸氏系譜」忠将 久眞
「垂水島津家家譜」久眞
明暦元 1655 久眞、広瀬吉左衛門の養子となる 「垂水島津家家譜」久眞
延宝7
9月29日
1679 久眞死去(享年55歳) 法号「仙叟雲英居士」 「垂水島津家家譜」久眞

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