[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
島津忠良女(桂忠昉後室)
永禄8年~慶長16年(西暦)年5月28日<享年47歳>
<略歴>
島津本宗家14代当主・勝久の孫で、長男・忠良の一人娘。しかし、彼女が誕生した時点で既に祖父・勝久は豊後へ逃走し、父・忠良も伊東氏の元で寄食状態にあり、名目とはかけ離れた生活を送っていたと思われる。更に天正6年に伊東氏が日向から放逐されると、残された島津忠良一家は出家させられたり、蟄居させられる羽目になった。しかし、彼女は女性だったためか出家させられることもなく、後に島津家分家・桂忠昉の後妻となっている。
ちなみに「諸氏系譜」桂氏には、忠昉と彼女の間に子供がいなかったこともあり、彼女の記載はない。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
永禄8 | 1 | 日向広原にて誕生 父・島津忠良 母・福永月甫女 | 「諸氏系譜」亀山氏 忠良女 | |
(年度不明 天正19~) |
1591~ | 桂忠昉の後妻となる | 「諸氏系譜」亀山氏 忠良女 | |
慶長16 5月28日 |
1611 | 47 | 死去 法号「縁月宗従」 | 「諸氏系譜」亀山氏 忠良女 |