島津勝久女(一台)
生没年未詳
<略歴>
永禄〜天正頃の女性。島津本宗家・14代当主勝久の次女として生まれ、その後豊後に移り、大友新太郎義次の一台役を勤めた。しかし、その最中、末弟の島津宗俊を弟・又四郎と共謀して殺すという事件を引き起こしている。
天正15年、島津氏の豊後侵攻が激しくなると上方へ逃亡した。その後更に転居し、最後は江戸の桜田で死去した。ここは慶長中期以後島津氏の江戸屋敷があったところであり、最後は本宗家を頼ったものか。後考を期す。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 日向真幸院般若寺にて誕生 父・島津勝久 母・某女(犬熊) |
「諸氏系譜」亀山氏 勝久次女 | ||
(年度不明) | 豊後に移住 | 「諸氏系譜」亀山氏 勝久次女 | ||
(年度不明) | 大友義次の一台役となる | 「諸氏系譜」亀山氏 勝久次女 | ||
(年度不明) | 末弟・宗俊を弟・又四郎と共謀して某所にて屠殺する | 「諸氏系譜」亀山氏 宗俊 | ||
天正15 | 1587 | 島津氏の豊後攻撃始まる 上方へ逃亡する |
「諸氏系譜」亀山氏 勝久次女 | |
(年度不明) | 武蔵国江戸豊島郡桜田にて死去 | 「諸氏系譜」亀山氏 勝久次女 |