肝付兼続女(頴娃兼有室)

生没年未詳

<略歴>
天文末頃〜元亀頃の女性。同族である頴娃氏の嫡子・兼有の妻となり、一子を産む。が、夫・兼有は頴娃氏の家督争いに巻き込まれ殺害される。その後、一子・兼次は頴娃氏を出て祖母の実家・樺山家に引き取られたことから見て、彼女も頴娃氏を出た物か。その後の行方は不明。
義母・帖佐氏女と対立した夫は一時期頴娃氏を出て妻の実家である肝付氏に身を寄せていた。その後、頴娃に引き上げるときには島津家久の支援を受けた(「本藩人物誌」頴娃久虎)という。それには家久の妻の伯母が頴娃兼有の母に当たる、と言うかなり複雑な背景があった。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・肝付兼続 母・島津御南 「新編伴姓肝属氏系譜」15
(年度不明) 頴娃兼友の嫡子・兼有と結婚 「新編伴姓肝属氏系譜」15
「伴姓頴娃氏系図」
(年度不明) 夫・頴娃兼有と姑・帖佐氏女の対立が激化、兼有は妻の実家・肝付氏に身を寄せる 「本藩人物誌」頴娃久虎
「新編伴姓肝属氏系譜」15元亀元年条
(年度不明) 夫・頴娃兼有が島津家久と頴娃氏家老・津曲俊宗等の支援を受け、頴娃氏への復帰を計る 「本藩人物誌」頴娃久虎
島津義久の支援により津曲俊宗の助けを受け復帰したとも 「新編伴姓肝属氏系譜」15元亀元年条
永禄12 1569 長男・兼次を産む 「伴姓頴娃氏系図」
「諸氏系譜」樺山氏 久増
元亀元
7月18日
1570 夫・兼有が家臣・頴娃兼豊によって開聞神社の社頭にて暗殺される(享年不明) 「伴姓頴娃氏系図」
「新編伴姓肝属氏系譜」15元亀元年条
(年度不明) 一子・頴娃兼次が祖母・樺山信久女の実家に引き取られ、伯父・樺山善久によって樺山分家の当主となり、「樺山久増」と改名 「諸氏系譜」樺山氏 久増
慶安3
2月13日
1650 樺山久増死去(享年82歳) 「諸氏系譜」樺山氏 久増

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