中村清安女(島津久信側室)
生没年未詳
<略歴>
島津久信の室の一人で、久信の最後の子供である忠盈(「垂水島津家家譜」では「久盈」)を産んだ。出身などから見て側室だったのではと推測される。 忠盈はのち御家老組※に取り立てられたが、37歳で死去。法号「心芳得菴居士」、浄珊寺(祖母・島津新城の墓所)に葬られる。なお忠盈には子供が無く、この系統は忠盈一代限りで早々に断絶した(結婚の有無も未詳)。
実家の中村氏は「本藩人物志」に「島津忠宗次男・和泉忠氏の末裔」とあるが、下級武士が多い。父・九郎左衛門清安は系統未詳。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
寛永4 11月2日 |
1627 | 久信六男・三四郎(後 右兵衛尉忠盈)を産む | 「諸氏系譜」忠将 忠盈 「垂水島津家家譜」久盈 |
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正保3 1月24日 |
1646 | 忠盈、100石取りとなる | 「垂水島津家家譜」久盈 | |
寛文3 10月5日 |
1663 | 忠盈死去(享年37歳) | 「垂水島津家家譜」久盈 |
※「御家老組」はおそらく本家の家老クラスの職級と考えられ、石高から見ても垂水島津家や新城島津家の家老になったのではない、との御教示を頂きました。(末川氏提供)