頴娃兼洪女(島津尚久室)

生没年未詳

<略歴>
天文頃の女性。薩摩南部の有力国人であった頴娃兼洪の娘で、島津忠良の三男・尚久に嫁ぎ1女1男を儲けた。尚久が永禄5年に早世した後の消息は不明。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・頴娃兼洪 母・北原兼憲女 「伴姓頴娃氏正統系図」
(年度不明) 尚久の長女(後 佐多忠常室)を生む 「宮之城島津家系図」
「諸氏系譜」尚久 尚久長女
天文20
7月17日
1551 尚久長男・鎌菊丸(後の島津忠長)を生む 「宮之城島津家系図」
「諸氏系譜」尚久 忠長
永禄5
3月1日
1562 夫・尚久死去(享年32歳) 「宮之城島津家系図」
「諸氏系譜」尚久 尚久

島津尚久には他に喜入式部大輔(喜入久道か)に嫁いだという次女がいる。「宮之城島津家系図」「諸氏系譜」などに母親が記載されていないので保留したが、時系列などから考えて、頴娃兼洪女が母親の可能性もある。

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