新納忠堅女(島津歳久側室、綱馬場、梅君)
生没年未詳
<略歴>
新納氏本家9代忠茂弟・忠堅の娘。
新納本家は地理上の理由から伊東氏につき、彼女も当初は伊東権頭の妻であった。夫に先立たれた後は佐土原(現宮崎県佐土原町)に住み地名から「綱馬場」と名乗っていた。伊東氏が日向から敗退すると島津歳久の側室となって鶴田城(現鹿児島県薩摩郡鶴田町)に移り住み「梅」と称していた。しかし、歳久が豊臣秀吉の命で殺害されると鶴田城を去り、故郷の日向に逃げたという。その後の消息は不明。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生。父・新納忠堅、母・不明 | 「旧記雑録」諸氏系図1新納氏「忠堅」 | ||
(年度不明) | 伊東一族の伊東権頭※と結婚 | 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」 | ||
(年度不明) | 娘(後 伊勢貞成室)を産む | 「本藩人物志」伊勢貞長 | ||
(年度不明) | 伊東権頭死去 佐土原に移住、「綱馬場」と名乗る |
「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」 | ||
天正5 | 1577 | 伊東一族が日向から逃走する | 「島津世家」 その他出典多数 | |
(年度不明 天正5〜天正7) |
1577〜1579 | 島津歳久と再婚する | 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」 | |
天正7己卯 2月1日 |
1579 | 娘(北郷三久室のち伊集院久洪室)を出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」 | |
天正20(=文禄元)壬辰 7月18日 |
1592 | 夫・島津歳久が豊臣秀吉の命により殺害される その後、鶴田城から逃亡する |
「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」 |
※伊東権頭は「本藩人物志」伊勢貞長によると「権頭ハ三位入道(=伊東義祐)之弟ト云」とある。「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」15天正2年条の牛根城攻防戦で肝付氏側の加勢として名前が見えている。