×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

新納忠堅女(島津歳久側室、綱馬場、梅君)

生没年未詳

<略歴>
新納氏本家9代忠茂弟・忠堅の娘。
新納本家は地理上の理由から伊東氏につき、彼女も当初は伊東権頭の妻であった。夫に先立たれた後は佐土原(現宮崎県佐土原町)に住み地名から「綱馬場」と名乗っていた。伊東氏が日向から敗退すると島津歳久の側室となって鶴田城(現鹿児島県薩摩郡鶴田町)に移り住み「梅」と称していた。しかし、歳久が豊臣秀吉の命で殺害されると鶴田城を去り、故郷の日向に逃げたという。その後の消息は不明。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生。父・新納忠堅、母・不明  「旧記雑録」諸氏系図1新納氏「忠堅」
(年度不明) 伊東一族の伊東権頭と結婚 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」
(年度不明) 娘(後 伊勢貞成室)を産む 「本藩人物志」伊勢貞長
(年度不明) 伊東権頭死去
佐土原に移住、「綱馬場」と名乗る
「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」
天正5 1577 伊東一族が日向から逃走する 「島津世家」 その他出典多数
(年度不明
天正5〜天正7)
1577〜1579 島津歳久と再婚する 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」
天正7己卯
2月1日
1579 娘(北郷三久室のち伊集院久洪室)を出産 「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」
天正20(=文禄元)壬辰
7月18日
1592 夫・島津歳久が豊臣秀吉の命により殺害される
その後、鶴田城から逃亡する
「旧記雑録」諸氏系譜3歳久「歳久」

伊東権頭は「本藩人物志」伊勢貞長によると「権頭ハ三位入道(=伊東義祐)之弟ト云」とある。「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」15天正2年条の牛根城攻防戦で肝付氏側の加勢として名前が見えている。

表紙に戻る 人名索引へ戻る 人名索引「に」に戻る