某女(島津義久後室)
生没年未詳
<略歴>
島津義久には島津忠良四女、種子島時尭次女の2人の正室が伝わっている。が、「上井覚兼日記」「旧記雑録」などを見ると、種子島時尭次女が亡くなった元亀3年以降も「義久公御簾中」「義久公奥方」などの記述が散見し、ここから推測するに、島津義久には3人目の正室がいたと思われる。
しかし、義久との間に子供が居なかったためか「島津氏正統系図」には名前が見られず、「御家譜」にも記載されていない。義久正室という重要な立場にいながら、出身も生年も没年も墓所も不明という、謎の多い女性である。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
天正16 9月4日 |
1587 | 夫・島津義久のお付きの従者に酒をふるまう | 「旧記雑録」後編2−510「天正拾六年御日記」 | |
天正16 10月6日 |
日向国細島近辺で輿に乗っていたところ、秋月氏の家臣・福嶋之夫丸なる者に無礼を働かれる | 「旧記雑録」後編2−510「天正拾六年御日記」 | ||
天正19 2月 |
1591 | 夫・島津義久と連名で開聞山姉姫宮の別当寺の再興を行う | 「町田氏正統系譜」久倍 232「開聞山姉姫宮並別当寺再興棟札写」 | |
(年度未詳 9月11日) |
9月9日の祝儀として小袖三着を石田三成に贈り、礼状をもらう | 「旧記雑録」付録2−275 |