島津忠良女(島津義久先室)

生年未詳〜永禄2年(1559年)11月18日<享年不明>

<略歴>
島津家再興に尽力した島津忠良の四女で末っ子。貴久・忠将・御南御隅種子島時尭前室の異母妹。尚久の実妹。甥に当たる島津義久に嫁ぐが、娘(御平)を産んだ後早世。島津忠良の娘、島津家当主の妻という重要な立場でありながら、実名も生年も不明という謎の多い人物である。

<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明、
享禄4年以後)
1531〜 誕生。父・島津忠良、母・上木貞時女  「諸氏系図」3忠将「忠良」
「諸氏系図」3忠興「忠良」
(年度不明) 島津義久と結婚 「島津氏正統系図」
天文20年
8月22日
1549 義久の長女(御平、島津義虎室)を出産 「島津氏正統系図」
永禄2年
11月18日
1559 死去。法号「花舜妙香」 「島津氏正統系図」
法号(別伝)「萃舜妙香大姉」 「御家譜」十六代義久

上木貞時は「諸氏系図」によると指宿忠貞の息子とされる。
 指宿忠貞は頴娃氏後裔で宮之城郷屋地村(現・鹿児島県宮之城町)領主と思われる(『「さつま」の姓氏』指宿氏)
 上木氏に関しては不明。


<墓所>
南林寺跡(鹿児島県鹿児島市 現松原神社)
福昌寺跡(鹿児島県鹿児島市池之上町)


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