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上木貞時女(島津忠良側室、大仁、大貳、桑御前?)

生年未詳〜天正5(1577)年<享年不明>

<略歴>
おそらく薩摩の有力国人であった指宿氏の分家の出身。後に島津忠良の側室となり、三男の島津尚久、四女(島津義久先室)を産んだ。
「本藩人物志」土持若狭守項では「(若狭守が3歳の時に父親が自害に追い込まれ、母親と伊集院に避難したところを)日新公(=島津忠良)被聞召上田布施へ被召出大仁(イ貳)ト申御側ヘ被召仕候女江被仰付(上井筑後守貞晴女也尚久ノ母也)養育被仰付」(以下略)とある。ここで父とされる「上井貞晴」は「上木貞時」の誤字と思われ、彼女は通称”大仁”或いは”大貳”と名乗っていたことが分かる。
ちなみに同じ「本藩人物志」新納康久の項に、島津忠良は新納康久の養育係として「大貳」と言う女性をつけたとあるが、ここに出てくる「大貳」が上木貞時女と同一人物かどうかは不明。
また『宮之城町史』『宮之城人物志』では彼女の名前を「桑御前」とするが、具体的な史料不明。ちなみに、彼女は養蚕のための桑を積んでいるところを島津忠良に見初められたともいい、また加世田の養蚕の指導者が彼女であり、そのため「桑御前」と言うようになった、とも伝えられているという。(『宮之城人物志』)
「日新菩薩記」では俊安和尚のもとに参禅し「女相にして成仏の宝器にあり」と言われ「文質庵主」号を許可されたと書かれている、熱心な禅信徒であった。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・上木貞時 母不明 「諸氏系譜」忠将 尚久
「諸氏系譜」忠興 尚久
大永7頃 1527 島津勝久家老・土橋政綱の遺児の養育を島津忠良より仰せつかる 「本藩人物志」土橋若狭守
享禄4 1531 忠良の三男・鎌安丸(後の島津尚久)を産む 「島津氏正統系図」
「諸氏系譜」尚久一流 尚久
「本藩人物志」島津尚久
(年度不明) 忠良の四女(後 島津義久先室)を産む 「島津氏正統系図」
「諸氏系譜」忠将 尚久
「諸氏系譜」忠興 尚久
「諸氏系譜」尚久 忠良四女
天正5 1577 死去 法名「文質桂才庵主龍徳院殿」 「諸氏系譜」尚久 尚久
『宮之城町史』『宮之城人物志』

<墓所>
・竜徳院跡(現・鹿児島県加世田市白亀)

「諸氏系譜」3忠将「忠良」、忠興「忠良」項によると、父・上木貞時は指宿忠貞の息子という。
「本藩人物志」指宿能登守忠次項には「其(忠次の子)清六左衛門忠次、姉ハ島津尚久之室ナリ」とあるが、「諸氏系譜」尚久によれば島津尚久室は頴娃兼洪女であることから考えて、「室」は誤字であると思われ、この「姉」というのは島津尚久の母ではないかと考えられる。この推測が正しければ、指宿能登守忠次=上木貞時となる。

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