某女(島津義弘側室?)

生没年未詳

<略歴>
「薩藩先公貴翰」237にでてくる「御れうにん」、「旧記雑録」後編4−1086にでてくる「御料人」と言う人物がいる。島津亀寿島津御屋地らと文のやりとりをしている女性で、この文書が加治木の島津義弘に関する日記であることから、「御料人」とは義弘の側室ではないかと推定される。
ちなみにこの時義弘は80歳、側室とはいっても実際は奥向きの差配だけを行っていた物と思われる。出典はこの文のみで、義弘死後の動向など一切が不明。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
慶長18
8月22日
1613 島津義弘の手紙の文中で「御料人が島津御下伊集院千鶴が居なくなって寂しそうにしている」と書かれる 「薩藩先公貴翰」237
「旧記雑録」後編4−1038
慶長19
6月1日
1614 島津亀寿、島津御屋地、島津久賀室(川上忠辰女)から手紙を受け取る 「旧記雑録」後編4−1086

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