東福寺即宗院の庭(1000hit記念)


先述したように、即宗院に現在残る庭は平安末期に藤原忠通が別荘「月輪殿」の庭として作った物が改造されつつ残った遺構と考えられている。
廃仏毀釈のために明治以降荒廃の一途をたどっていたが、昭和47(1972)年に整備し直され、平成元(1988)年4月1日に京都市指定名勝となった(以上、即宗院門前の説明版による)。

ではもしかしたら島津義久や家久ら戦国島津の人たちも見ていたかも知れない?庭をご案内。

  東方にある(たぶん)沙羅双樹の木 ※クリックすると拡大写真を別ウィンドウで表示します
左側写真のむかって右奥の方に立派な石組みが見えますが、これが平安時代から残っている滝組の遺跡です。
現在は残念ながら全く水流れてません(T_T)

実はこの後方に西郷さん揮毫の慰霊碑があります。といっても即宗院からでは木立が鬱蒼としていて全く見えませんが。


  南方にある池 ※クリックすると拡大写真を別ウィンドウで表示します
平安時代本来の姿ならば「池泉回遊式庭園」(つまり船で池を巡るようになっている広大な物)だと思われるのですが、後世に何回か手を入れられたのか現在は「池泉鑑賞式庭園」になっています。
それでも奥に見える石組みはすばらしいです。

 池の手前側 ※クリックすると拡大写真を別ウィンドウで表示します

ここも数少ない平安時代の遺構で、州浜に見立てた汀の部分だそうです。


 現在の即宗院の建物 ※クリックすると拡大写真を別ウィンドウで表示します

見てのように余り古い物ではありません。このすぐ隣りにある「龍吟庵」は室町初期頃の寝殿造りっぽい国宝の方丈が残っているのですが。残念です。
島津家久はここにどんな方丈を建てたのでしょうか。


※即宗院は通常秋のトップシーズン(11月末頃)のみ公開。拝観料200円(2004年現在データ)。

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