高野山と島津。(島津義久、義弘、重豪、斉興 他 の墓)


 全景
日本高麗戦没者慰霊碑」は実は島津関係の墓の一角に建てられた物でした。
「日本高麗戦没者慰霊碑」は向かって右側にある木の看板の後ろに立っています。
※この情報は高野山霊宝館HPによるものです。

他の島津家の墓(四番墓一の橋に近い所にある墓)に比べて高さ1m程度の小振りな宝匡印塔が多いのが特徴です。
比較的新しい墓が多いのですが、江戸末期に島津家によって整理・修復されたためのようです。

<ど下手な図による島津家兆域案内図>
※カーソルを移動させて「→」から「手」に変わるところには説明があります。


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