高野山と島津。(日本高麗戦没者慰霊碑)

島津義弘・忠恒(後の家久)が建立した「日本高麗戦没者慰霊碑」。

この石碑は現在国の重要文化財になっております。高さは3mぐらい。1599(慶長4)年に建立されました。


石碑のUP写真。かなりの逆光で分かりにくいですが(汗)
※写真をクリックすると拡大写真が別ウィンドウで表示されます。


真ん中に「朝鮮国在陣之間敵味方閧死軍(?)兵皆〜」と刻まれている。この石碑で法要されているのは1598(慶長3)年の泗川の戦いの戦死者が主。ちなみに「泗川表大明人八万人○○(石碑が割れて欠字)」とあり、公的には明軍8万人を討ち取ったと公表していたようです。
この石碑で面白いのは末尾に「嶋津兵庫頭藤原朝臣義弘忠恒建」と彫られており、しかも後世に人為的に「藤」の字を消して「原」に”さんずい”を追加した形跡があることである。

<追記>
2005/11/10に再訪いたしました。
さて、気になる石碑の裏ですが…
 _| ̄|○
…何か見てはいけない物を見たような気がする。

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