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高野山と島津。(久松松平家墓所)

松山藩・久松松平家墓所

大小さまざまの五輪塔が集まっている集合墓です。場所は前田利長墓(三番墓)近くにあります。
真ん中の一番大きな五輪塔の高さは2m弱ぐらいか。この一番大きな墓が久松松平家2代当主の松平定行の墓だそうです。

松平定行は徳川家康の異父弟・松平定勝の長男。父の跡を継ぎ、掛川藩主となった後、転封により桑名藩主、最終的に伊予松山藩主となった人物。家康の政策により当初島津家久養女(実は島津朝久・島津御屋地夫妻の長女)を正室としたが、彼女が桑名で死去した後、また島津家久養女(実は伊集院忠真・島津御下夫妻の長女・千鶴)と再婚した。対外的に政略結婚を余りしなかった島津氏の、数少ない対外政略結婚の相手となった人物であり、疑心暗鬼の関係にあった徳川家と島津家の間の折衝をよく勤めた。
藩主としても名君として知られ、特に松山藩主となってからは松山城の改築や温泉政策などに力を注いだ。銘菓「一六タルト」の発明者としても知られている。

  ※写真をクリックすると更に大きな写真が表示されます
(左)松平定頼墓 向かって松平定行墓のすぐ左にある五輪塔で、高さ1m強。
 松平定頼は定行の唯一の男子で、母は島津朝久女。娘の一人が島津綱久室。寛文2年(1662年)江戸で落馬し、その怪我が原因で父・定行に先立って亡くなった。
(右)松平?分骨墓 向かって松平定行墓のすぐ右にある五輪塔。石碑が建っていたが判読不能。

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