牧胤親女(島津家久側室、向島?)
生没年未詳
<略歴>
寛永2年、島津家久との間に九男を、寛永4年に十二男を産む。少なくとも万治2(1659)年までは健在だったと思われる。
家久より時期不明ながら手紙をもらっている(「旧記雑録」附録2−724、803〜811)。宛書きは「むかふ嶋」「島にて」となっているものがあり、彼女の雅名は「向島」だった可能性もあるが不明。
牧氏は薩州島津家に仕え、阿久根地頭職を勤めていた一族だが、父・牧源兵衛胤親の系統不明(『「さつま」の姓氏』)
※このHPの採取方針から外れるが、島津家久側室と言うことで特別に記載。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
寛永2己丑 6月13日 |
1625 | 家久の九男・松千代(後鎌田政統養子・鎌田正勝)を出産 | 「島津氏正統系図」家久 「諸氏系図」伊集院氏 松千代丸 |
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寛永4丁卯 12月18日 |
1627 | 家久の十二男・亀千代(後伊集院久族養子・伊集院久朝)を桜島で出産 | 「島津氏正統系図」家久 「諸氏系図」伊集院氏 久朝 |
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万治2 | 1659 | この頃までに化粧料200石を賜る | 「旧記雑録」追録1 859「鹿府万治高帳」 |