伊集院忠棟女(北郷三久室)

生没年未詳

<略歴>
慶長頃の女性。
「庄内陣記「忠棟入道幸侃都之城御朱印宛行はる事」」に依れば、次男・小伝次と三男・三郎五郎(=肝付兼三)の間に女子があり、傍注に「北郷宗次郎三久室なり」とある。「庄内陣記「野々美谷城攻之事」」でも「三久始宗次郎と云、伊集院幸侃婿也」とあり、慶長4年当時、北郷三久の妻は伊集院忠棟(幸侃)の娘であったことが分かる。が、「諸氏系譜」北郷氏三久の項を見ても伊集院忠棟女を母とする子供はない。「庄内陣記」の添付系図に依れば彼女は「早世」したという。
夫の北郷三久は、その庄内の乱(慶長4(1599)年)では島津忠恒側に付き、北郷本家当主・長千代丸(後の北郷忠能)代理として先頭に立って活躍したという(「諸氏系譜」北郷氏三久、「庄内陣記「野々美谷城攻之事」」)。また、北郷家は本来の都城領主であり、文禄検地後の領地替えにより都城領主となった伊集院忠棟家に対しては遺恨の仲であったという(「庄内陣記「野々美谷城攻之事」」)。こういった経緯から見て、北郷三久と伊集院忠棟女は慶長4年に離婚したのでは無かろうか。庄内の乱時の北郷家と伊集院家の婚姻関係については「北郷時久次女(外城)」も参考されたい。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・伊集院忠棟 母・島津(吉利)久定女(?) 「庄内陣記」
(年度不明) 北郷三久と結婚する 「庄内陣記」
(年度不明) 早世 墓所、法号未詳 「庄内陣記」添付系図

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