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東福寺とは(1000hit記念)

 即宗院へ向かう橋(偃月橋)

東福寺は京都市東山区の南端にある鎌倉時代に藤原(九条)道家が建立した臨済宗の禅宗寺院。
正式名「慧日山東福寺(えにちさん とうふくじ)」。
実は遥か前、平安中期の延長2(924)年には道家の先祖に当たる藤原忠平が法性寺をこの地に建立している。
その後法性寺は藤原道長による「五大堂」の造営(寛弘3(1006)年)、藤原忠通室・宗子の「最勝金剛院」の造営(久安6(1150)年)など華美を極めていった。が、鎌倉時代初頭には早々と衰退してひどい状態だったらしい。
九条道家はその藤原摂関家縁の跡地を利用して、九条家の菩提寺を建てたのである。それが奈良最大の寺院である東大寺と興福寺に名前をあやかった「東福寺」であった。
鎌倉時代初期は摂関家が後継者争いから近衛家、九条家と分裂していく過渡期である。道家は源頼朝と結びつくことで九条家の宮中での地位を高めた人物であった。その人物が摂関家縁のこの地を選んで自家の寺を建てたことに並々ならぬ気概がほの見える。

九条家は、その後宮中での勢力争いや鎌倉幕府内での勢力争いに巻き込まれ勢力を失い逼塞を余儀なくされるが、東福寺自体は室町幕府にも京都五山(別格南禅寺、1位天竜寺、2位相国寺、3位建仁寺、4位東福寺、5位万寿寺)の内の一つと認定され、最高クラスの格式を持つ禅寺として君臨した。
寺の真ん中には川(三之橋川)が流れているが、その割には幾度もの火災にあって焼亡している。明治14(1881)年には禅宗寺院の中核とも言える仏殿、法堂、庫裏などを失っている(昭和9(1934)年にようやく再建している)。

即宗院は現在この東福寺の一番奥に当たる部分に立地している。この三之橋川にかかる橋(偃月橋)を渡ると正面に見える塔頭が龍吟庵、右横が即宗院。

更に詳しい話は公式HPへ→こちら


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