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栂尾山高山寺


四条大宮から乗ると竜安寺前、仁和寺前を通過し、だいたい40分ぐらいで栂尾に到着します。
ちなみに栂尾まで行くのはJRバスのみです(市バスはその手前の高雄が終点なので注意)。
道(国道161号)は急カーブが多いので、座れる状態なら座った方がいいでしょう。

 栂尾のバス停付近です。新緑が鮮やか。
ちなみにバスは「周山」行きです。周山は2006/3/31までは「京都府北桑田郡京北町」の中心部だったところです。現在は京都市になってしまったのですが…。ちなみに周山は別館で紹介したこちらに近いところです。織田信長配下だった明智光秀の支配地だったところでもあり、自らを中国の古代王国「周」の武王にたとえ、そこから名前をとり改名させたと言われてますが…(参考はこちら)。どうも眉唾臭い説のように思われます。

  ※クリックすると拡大写真表示
バス停の周辺はこんな感じ。市営駐車場もあり、周辺には茶屋のたぐいが数軒あるので休憩には困りません。
この駐車場の南はずれに高山寺への裏口(今やこっちの方が正門くさいが…)があります。
こちらは階段が急なので、足の弱い人は(ちょっと車の往来が気になりますが)150mほど国道161号線を戻り表参道から登る方が傾斜が緩いです。


裏口にある看板。やや現状を美化しすぎのようなヾ(^^;)※地図の該当個所をクリックすると説明に飛びます
高山寺自体の説明はこちら(京都府公式HP内の説明)を参照。

高山寺略歴
 正式名「栂尾山高山寺」(とがのおさんこうざんじ)。
 寺伝によると、宝亀5年(774年)に光仁天皇の勅願寺「神願寺都賀尾坊」として建立、弘仁5年(814年)「栂尾十無尽院」と改名、貞観18年(876年)から4年間、後に13代天台座主となった尊意僧正が修行した寺だという。…おそらく当初は神護寺(真言宗)の別院として建立され、その後天台宗に転じていたというのが実状ではないかといわれている。
 実体がはっきりするのは鎌倉時代からで、明恵上人(1173〜1232)が入山し、後鳥羽上皇、及び近衛家・鷹司家・西園寺家という公家の帰依を受けて再興し、このときに現在残る石水院の建物なども寄付されたとされる。明恵上人の叔父・上覚上人は文覚上人と共に隣の神護寺で活躍していた僧侶であり、当初は叔父を頼ってこの地に来たと言われる。東大寺や建仁寺など複数の宗派で修行した明恵上人は仏教の開祖・釈迦への信仰と清貧を主旨とし、阿弥陀仏への帰依を唱えた法然や親鸞には批判的だったという。1206年には勅願寺「日出先照高山之寺」となり、以後神護寺から独立して「高山寺」と改名する。
 しかし、ここも他の京都の寺社仏閣同様に応仁の乱に巻き込まれて石水院以外の建造物を失い、現在の寺観は寛永13年(1636年)に再興された物を基本としている。

ところで。高雄、槙尾、栂尾のうち、栂尾の高山寺だけがユネスコ指定の世界遺産となっています。
 裏口にある世界遺産を示す看板 ※クリックすると拡大写真表示
ちなみに1986年には同じ世界遺産のイタリア・アッシジの聖フランチェスコ教会と「兄弟教会」となったそうです。


その近くには、京都市の文化財の名物?である木の立て看板があります。
私は日本の文化財には必ずこいつが立っていると思いこんでいました_| ̄|○幼年期のすり込みというのは恐ろしい物である。

裏口から登っていくと一番最初に見えるのが国宝の「石水院」。鎌倉時代に高山寺の再興者である明恵上人が、後鳥羽天皇から学問所の建物をもらった物と言われています。中は写真撮影不可だったのが残念(といいつつ、留学生の団体が写真取りまくってやがりましたが…よー注意できへんかったヘタレの私(-_-;)
入り口
  遠望1,2
本体はかやぶき屋根で広い舞台状の縁側と畳敷きの部屋3室からなっています。鎌倉時代にはないはずの床の間などもあり、後世の改修がかなり入ってしまっているようです。窓が寝殿造風の跳ね上げ格子戸なのが鎌倉時代風なのでしょうか。
ここからの景色は絶景といわれています。秋なら紅葉が美しかったでしょうが、今の時期もなかなか宜しいです。

その真横に「茶園」があります。
明恵上人は栄西禅師から茶の種をもらって栽培し、栄西と共に「日本の茶の祖」といわれています。栄西は別館で紹介した「建仁寺」を建てた僧侶としても有名です。
高山寺の茶園は、室町時代までここでとれるお茶が「本茶」と言われるほど有名だったようですが、その後戦乱で荒廃し、現在の茶園は昭和になってから宇治の業者団体によって再興された物です。
  
深山幽谷で余り日の射さないこの場所は、宇治や静岡などの現在の茶産地と比べると余り条件としては良くないように思えますが、インド・ダージリンあたりとは冷涼な気候が似ている?ような気がします。

ただ、今再興された茶園は公衆便所の横にあるんですよねぇ…場所がなかったとはいえ、もう少しどうにかならなかったのかと(もちろん便所のほうが、ですよ)ところで、この便所はくみ取り(掃除されてるかもアヤシイ)ですので、バス停横駐車場にある市営トイレを使う方が無難です。

山をどんどん登っていきます。
石水院のすぐ上には、やはり「日本の茶栽培はじめの地」にちなんで、昭和に再建された茶室「遺光庵」が建てられています。
名庭「平安神宮神苑」「山縣有朋別荘・無鄰菴」などの作庭で有名な小川次兵衛によって作られた物ですが
完全非公開です_| ̄|○
 横から無理矢理撮った遺光庵(T_T)

その上には高山寺に伝わる宝物の収蔵庫が立っています。コンクリートの巨大な建物がいきなり山中に現れるので度肝を抜きます。いいアングルがなかったので写真を撮れなかったのが残念。
ちなみに高山寺は何回も衰亡の危機にあり、建物は先ほど紹介した石水院以外はいい物が残っていないのですが、京都でも屈指の国宝所有寺院です。有名な「鳥獣戯画」「華厳宗祖師絵伝」などなど。小さい物はもって逃げやすかったからでしょう。

更にどんどん登山していきます。次に見えるのが明恵上人を記念して建てられた「開山堂」です。
現在の建物は江戸時代の再建です。 ※クリックすると拡大写真表示


そこからすぐ上に、その明恵上人のお墓本体があります。 ※クリックすると拡大写真表示 
明恵上人のお墓自体は五輪塔でした。
ここには明恵上人以外にも高山寺に関わった僧侶たちの墓所となっています。形式は灯籠型などバラバラ。
で、門の向こうは立入禁止です。

今度はそのまま木の根が浮き出た山道を案内板にしたがって平行移動します。
歩いて1分もしない内に金堂が見えてきます。
※クリックすると拡大写真表示

他の角度からの写真はこちら→左横 後ろ 右横

本来ならこの寺のメインとなるべき建物ですが、私以外誰もいなーい(^^;)ちなみにこれも江戸時代の再建です。

ちなみに背後にはわき水の涌いた井戸らしき物がありますが、そこから盛んに「げこげこげこ」という蛙の声が…。その中は恐ろしくて写真撮ってません(^-^;)

帰りは表参道の階段を下ります。(結構急なので雨の後などは注意が必要)
  
※クリックすると拡大写真表示
現在は石垣しか残っていませんが、まるで山城を思わせる作りです。
戦国時代頃の高山寺については、いろんな本や高山寺発行のパンフレットを見ても「応仁の乱などに巻き込まれて衰亡していた」と言うぐらいしか分からないのですが、最盛期には山岳寺院としてかなりの勢力があったのではないかと思いました。

次は神護寺に向かいます

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