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関ヶ原(島津関連超限定)>大垣城

大垣は関ヶ原のすぐ隣の町です。

JR東海の乗り継ぎ駅(快速などはここが終点になっていて、米原方面は乗り換え)であると共に、養老鉄道(旧近鉄養老線)等の乗換駅でもあります。今も戦国時代以来変わらぬ交通の要所であることが分かります。

ちなみにこの養老鉄道の南の終点が桑名市(島津朝久女の墓所があります)。非常に興味があったのですが、時間の都合で無理でした。

なお、この町は長良川支流・水門川を中心として開けた水運の町であり、今でも川が縦横に走っています。
  
非常に整備されていて、写真からは想像できないがかなり綺麗だったりする。

ここは関ヶ原の合戦の前夜・西軍が軍議をし、その後西軍の過酷な籠城戦があった大垣城があった町でもあります。籠城戦の様子は、後世「おあむ物語」という当時籠城した女性の聞き書きが残されたことで有名です。
残念ながら、建物自体は第二次世界大戦で焼失しましたが…
日本の歴史をわけた舞台となった大垣城は今?

駅前から延びる大通りを歩くこと約10分 非常に分かりやすい石碑があります。
で、右手を見ると  いきなり城キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!! …でも小さいようなヾ(--;)

 さりげなく町になじみすぎている城門 それにつながる櫓(全部戦後の復元)
そして、その石垣の下には「おあむ物語」で「盥を船代わりにして渡って逃げたという堀」が…  ⊂(。Д。⊂⌒`つ

…気を取り直して、取りあえず入城します。
 これは戦後復元された天守(鉄筋コンクリート)。外の見た目は昔通りだそうです。

天守閣の中は歴史博物館、らしい。入場料100円を払って入ってみます。1Fが「関ヶ原の合戦」についての展示(ほとんどパネル)、2,3Fが江戸時代にここの藩主だった戸田家と城下町についての展示、4Fが展望台でした。「これは!」という展示物は少なかったように思いますが、大垣の歴史をさらっとなぞるにはいいかも知れません。

ちなみにエレベーターがないので、足の不自由な方にはお奨めできません。
島津関連で1つ興味深い展示がありました ※クリックで拡大

 禁制 あかさか さいえん寺

1.当手軍勢乱暴狼藉の事
1.伐採竹木の事
1.放火の事

右条々違背に於いては速やかに
厳課に処するべきもの也 よって件の如し

慶長五年九月 治部少(花押)
         摂津守(花押)
         兵庫(花押)
         秀家(花押)

美濃赤坂の西円寺という寺に対して出した、西軍諸将が「うちの兵が乱暴しないようにしますから」という証文なのですが、「兵庫」というのが島津義弘のこと。
ちなみに他に署名した武将は、もうおわかりの方が多いと思いますが
・石田三成(治部少)
・小西行長(摂津守)
・宇喜多秀家
秀家は「中納言」の官職持ちのはずなんですが、何で実名サインだったんでしょ?(゜_。)?(。_゜)?

ちなみに、西円寺というのは浄土真宗のお寺です。この辺りは「長島一向一揆」の本拠地に近かったこともあり、真宗の大寺が今でも多いようです。西円寺は西軍ばかりではなく、東軍からも同じ証文をもらっていました。関ヶ原合戦前夜、「戦の邪魔!」とばかり焼かれた寺社仏閣も多かったようですが、真宗寺は無視できなかったようです…戦国武将とはいえ怖かったんでしょう…まだ一向一揆の記憶はみんなしっかり覚えていたころです。

関ヶ原のパネル説明は、やはり関ヶ原歴史民俗資料館と比べると…うーむヾ(^^;)
内容は西軍に同情的でしたね。

次に、ドラマなんかでは西軍諸将が論議を交わしたことになっている(そして、そこで宇喜多秀家+島津義弘・豊久が夜戦を主張したが、石田三成に退けられたとされている)天守閣最上階の現状は…
 ⊂(。Д。⊂⌒`つ
伊賀上野のそれと比べて味わいも何もない… アレはアレで問題ありだが

ただ、面積だけはかつてのまま復元されているはずなんですが、西軍諸将全員はいらせるのには狭いのでは…と思いました。
見える景色は西(関ヶ原方面)東(城門辺り)※クリックすると拡大画像表示

西側の城門  から大垣城を退去、城下町を巡ります。

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