今熊野観音寺の島津義久墓(界隈案内)
今熊野観音寺は現在泉涌寺の塔頭となっています。
この泉涌寺の正式名は「御寺泉涌寺」。通常のお寺にあるべき山号がない、非常に特殊な寺院です。
それは平安末期からここが天皇家の菩提寺となったためで、それ以前も天皇家関係者の墓所であったため寺の周りは墓だらけです…。
楊貴妃観音堂と宝物殿 ※クリックするとUP写真が表示されます。
奥にある寄棟の小さなお堂が楊貴妃観音堂、右手に見える新しい建物が宝物殿です。
楊貴妃観音(重要文化財)は寺伝によると唐代に楊貴妃を模して作られたとされますが、実際はかなり時代が下がった鎌倉時代の物と考えられています。確かに容貌が日本の仏像らしくないのが特徴です。
宝物殿では江戸時代以降の天皇肖像画などが展示されていました。それも明治以降に寄贈された物とのことで意外にも古い宝物が少ない寺のようです。
奥の方に新しく作られたとおぼしき綺麗な枯山水の庭(右写真)があります。
山門から見下ろした仏堂 ※クリックするとUP写真が表示されます。
山門より低い位置に本堂があるというのは珍しいかも知れないです。
江戸時代の建物で、狩野探幽による龍の天井画、観音の背面壁画が注目点。仏像は「皇室の御寺」らしく釈迦、薬師、阿弥陀の3仏が祭られています(こういう形式は他には法隆寺ぐらいしかなかったような…)
但し、写真で見て分かるように今の宗旨である「真言宗」のお寺らしくない風情です。江戸時代以前はどちらかというと禅寺だったんですよね。
本堂 ※クリックするとUP写真が表示されます。
仏道の背後にあり、窓が格子戸というのが御所風でいかにも皇室のお寺っぽい。ここは中の見学が出来ません。
泉殿(右)と清少納言の歌塚(左) ※クリックすると別の写真が表示されます。
元々泉涌寺は「仙遊寺」という名前であったが、鎌倉時代の初めに境内から泉が出ていると言うことから現在の寺名に改められた。その泉というのがこれ。「常に水がわき出てあふれている」と言うことですが、私が行ったときには全然でしたヾ(^^;)
また、この寺の麓に一条天皇皇后・藤原定子の鳥部野陵があり、清少納言がその墓所の横で尼となり菩提を弔ったという伝承にちなんで歌塚が築かれている。
霊明殿 ※クリックするとUP写真が表示されます。
見るからに京都御所の紫宸殿そっくりのこの御殿は、背後にある月輪陵に参るための拝殿である。当然月輪陵もこちらも一般の拝観は出来ない。
即成院 ※クリックするとUP写真が表示されます。
源義経の配下で、屋島の戦いで戦場の扇を射たという那須与一の墓があるという寺。泉涌寺大門のすぐそばにある寺である。
今年は大河ドラマが『義経』ということで、門の所にポスターが貼ってあったが、那須与一は一瞬しか出てなかったような…ヾ(^^;)
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