京都東山・大雲院 境内見学 (3)

祇園閣を見終わったので、宝物展示の方に向かいます。

宝物は入場口のあったこちらの建物で展示されていました。会場内は写真撮影禁止のため、画像はありません。ごめんなさい<(_ _)>

この宝物観賞の感想というと…暑い!暑い暑いι(´Д`υ)アツィー !!!
何とこの会場には全くエアコンがない上、宝物の保存上、窓を開けることもできなかったため、会場内の温度は32度(○。○)…説明のボランティアの方と備品のうちわで扇ぎあいながら、ほとんど説明は耳に入らず_(。_゜)/ ごめんなさーい

ちなみに、もうみなさま想像は付いているかと思いますが、島津家関係の宝物でめぼしい物はほとんどありませんでした_| ̄|○ やはり織田信長・信忠関係の物が多かったです。

次に、本日の本命イベント「島津以久の墓参り」に行こうとしたら…何とお寺の外に出てしまいました。もう一度受付の方に聞いてみると、いったん祇園閣まで戻って、そこの横の階段から下りないと墓地に出られないとのこと。
そのため、靴持参で元の順路を戻り、係員の方に一言言ってから墓地に向かいました。
 墓地の入り口 ※石碑をクリックすると拡大画像
いきなり真正面に○十紋の石門が見えてます。

ここの墓地には先述した
・島津以久の墓
の他に
・織田信長+信忠親子
・石川五右衛門(非ルパン三世ヾ(^^;))
など有名人の墓があります。
入り口に近い順にお墓参りします。

<島津以久の墓>
 石塀の中に囲まれています。
※真ん中辺りをクリックすると拡大写真

島津以久は慶長15年(1610年)に江戸幕府の命で篠山城建設の「お手伝い普請」を命じられ、佐土原から上洛、同年4月9日に伏見にて客死しました。
島津氏は元々曹洞宗でしたが、この以久上洛中にここ大雲院の僧侶に非常に世話になったそうで、墓所もここに築き、更に佐土原島津家は浄土宗に宗旨替えしています。
なお、4人の家臣が殉死しました。
 ・久保権兵衛
 ・猿渡左近丞
 ・肝付治部左衛門兼家(肝付兼続の一族、元由廻城主)
 ・日高大炊左衛門重勝
この4人の墓も以久墓の側に築かれました。
但し、現在こちらの墓所には  10基の墓があり、残り5基の墓は誰の物なのかが気になります。

<織田信長・信忠親子の墓>
島津以久墓に向かって右後方にある背の高い墓が、織田親子の墓です。

見ての通り、余り古い墓ではなさそうです。一つの墓石に「総見院殿贈大相国一品○厳大居士」という信長の法名を右側に「大雲院殿三品羽林仙巌大居士」という信忠の法名を左側に、一緒に掘られています。その側にある小振りな石碑はこの「墓」を再建した有志「京都自治経済協議会」の名簿です。
ちなみに、ご存じの方が多いかと思いますが、信長は本能寺で、信忠は二条御所(今の二条城とは違います)で壮烈な戦死を遂げ、遺体は見つかりませんでした。ので、こちらの「墓」にも遺骨は入っておりません。

<石川五右衛門の墓>

祇園閣の真裏辺り、ちょっと奥まった場所にあるのが石川五右衛門の墓と言われている物です。
今では『ルパン三世』の相方としての方が有名でしょうが、これはそのモデル+先祖といわれている織豊時代の大泥棒の墓と言われている物です。
墓石の形式はそこまでさかのぼれるような古い物ではないように思いました。

<おまけ>
 歴代住職様のお墓

 墓地から見上げる祇園閣 

大雲院の見学はこれにて終了。
思ったより佐土原島津関連の物が少なかったなぁ_| ̄|○

次に大雲院周辺をご案内。

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