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島津家久女(禰寝重張元室)

永禄9(1567)年〜元和7(1621)年4月22日<享年56歳>

<略歴>
島津家久(中書大輔・島津義久、義弘の弟)の長女。大隅の戦国大名・禰寝氏の当主禰寝重張に嫁ぐが離縁したらしく、その後、弟・島津豊久の名代として京に人質となる。慶長5年の関ヶ原の合戦の際、母や伯父・島津義弘とともに京を脱出するが、その後、弟の客分だった島津忠栄(島津義虎・島津御平夫妻の四男)と共闘して佐土原領を私物化しようとし、弟・島津忠直を擁立する豊久の遺臣に追求されて出奔した。出奔後、伯父の義弘を頼ったらしく晩年は加治木で過ごした。
禰寝氏との離縁理由がはっきりしないことといい、島津忠栄との共闘といい、問題が多いというか、謎の多い女性である。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
永禄9丙寅 1567 誕生。父・島津家久、母・樺山善久女 「旧記雑録」諸氏系譜3家久「家久」
(年度不明) 禰寝重張に嫁ぐ 「旧記雑録」諸氏系譜3家久「家久」
(年度不明、
〜天正15年)
禰寝重張と離縁?理由は不明。 「本藩人物志」島津忠直
天正15
4月
1587 21 父・島津家久が豊臣秀吉に降伏したことにより、京に人質として上洛する 「旧記雑録」諸氏系譜3家久「家久」
「本藩人物志」島津忠直
慶長5
9月
1600 34 関ヶ原の合戦後、敗走中の島津義弘に合流し京から脱出する 「本藩人物志」島津忠直
慶長5頃 弟・豊久の客分だった島津忠栄と同心し佐土原領の乗っ取りを画策したとして、豊久の遺臣から一揆を起こされ逃亡する 「旧記雑録」後編6−280
「本藩人物志」島津忠栄
元和7
4月22日
1621 56 加治木にて死去 法号「花林長春大姉」 「旧記雑録」諸氏系譜3家久「家久」

「本藩人物志」では天正16年に上洛とある。

<墓所>通称’おいっさま墓’(鹿児島県霧島市牧園宿窪田田原)
※『牧園町郷土誌』によれば島津家久女は京に人質に出されているときに一向宗に帰依し、発覚後は500石の堪忍料も没収されて加治木に幽閉されて亡くなり、この地に隠されるように葬られたとする。このことは「本城家文書」に書かれているとされるが、「諸氏系譜」「本藩人物志」等の記述と大きく内容が異なり、年月も錯誤があるように思われ俄に信用しがたい。後考を期す。


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