佐多久慶女(北郷久村室)
生没年未詳
<略歴>
天正〜慶長頃の女性。島津家の有力分家である佐多久慶の娘で母は島津家久の次女。これまた島津家の有力分家である北郷時久の四男・久村に嫁ぎ一女一男を産む。佐多久慶の母は島津尚久女、久村の母は北郷忠孝女で島津義弘の先妻であり、島津本宗家に重縁の者で更に縁を固めようとした形跡が見られる。
夫の久村は豊臣秀吉の下に人質に出されていたときに慶長地震に遭い、その時の働きが秀吉に賞され、大隅国肝付小原に二千石の領地をもらっている。また、島津義久に直接仕え、濱の市に住んでいたという(「諸氏系譜」北郷氏久村)。非常に優秀な武将であったことが伺える。
しかし、久慶女の生んだ長男は病弱だったため、家老の日高五郎右衛門に翻弄されこの領地を全て一代にして失ってしまったという。このあまりの栄枯盛衰を久慶女はどう見ていたのであろうか。但し、彼女の生没年は不明である。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・佐多久慶 母・島津家久次女 | 「諸氏系譜」佐多氏 久慶長女 | ||
(年度不明) | 北郷久村の長女(後 禰寝重政室)出産 | 「諸氏系譜」北郷氏 久村長女 | ||
(年度不明) | 北郷久村の長男・宮千代(後の北郷久純)出産 | 「諸氏系譜」北郷氏 久純 | ||
慶長17 10月2日 |
1612 | 夫・北郷久村が小原村で死去(享年不明) | 「諸氏系譜」北郷氏 久村 |