北郷忠孝女(島津義弘(忠平)室 後 北郷時久後室)
?〜寛永12(1635)年乙亥10月5日<享年不明>
<略歴>
島津家御一門衆でも最も力のあった北郷家の出身。伯父に豊州家当主となった島津忠親がいる。当初、島津貴久の次男・忠平(後の義弘)と結婚するが、これは忠平が忠親の養子となったことによる政略結婚と思われる。ところが忠親が伊東氏の猛攻に耐えきれず、永禄4年には忠平が自らの意に反して薩摩に引き上げることとなり、さらには永禄10年に忠親も庄内に撤退したことにより、忠平との養子縁組も解消された。その結果、この結婚も自然消滅し離婚した模様。その後、従兄弟に当たる北郷時久(島津忠親の長男)の後妻となった。寛永12年まで生きており、恐ろしく長生きだった人らしい。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生。父・北郷忠孝、母・北郷久清女 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「忠孝」 | ||
(年度不明) | 島津忠平(後の島津義弘)と結婚 | 「島津家正統系図」 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「忠孝」 |
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天文23甲寅 | 1554 | 長女・千鶴(後の島津御屋地)を出産 | 「島津家正統系図」 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「忠孝」 |
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永禄元 11月4日 |
1558 | 父・北郷忠孝が伊東氏との飫肥(現宮崎県日南市)新山の戦いで戦死する | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「忠孝」 | |
永禄3 3月19日 |
1561 | 夫・島津忠平が伯父・島津忠親の養子となり飫肥に移住する | 「旧記雑録」家わけ2肝付氏「肝付世譜雑録」3 | |
永禄4 | 1562 | 夫・島津忠平が島津貴久・義久の要請により薩摩に引き上げる | 「旧記雑録」家わけ2肝付氏「肝付世譜雑録」3 | |
永禄11 | 1568 | 伯父・島津忠親が伊東氏の猛攻のために飫肥を退去し庄内に移る | 「旧記雑録」諸氏系譜3豊州季久「忠親」 | |
(年度不明) | 北郷時久と再婚 時久は島津忠親の息子であり、従兄弟同士の結婚であった |
「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 | ||
(年度不明) | 時久の次女(比志島義智元室)を出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 | ||
天正元癸酉 3月10日 |
1573 | 時久の三男・北郷三久出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 | |
(年度不明) | 時久の四男・北郷久村出産 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 | ||
慶長元 | 1596 | この年、太閤検地により旧来の本拠地である都城から宮之城に転居する。 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 | |
慶長元丙申 2月3日 |
夫・北郷時久が宮之城で病死(享年67) | |||
慶長17壬子 10月2日 |
1612 | 息子の北郷久村が死去(享年不明)、小原村に葬られる | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「久村」 | |
元和5 | 1619 | 最初の夫・島津義弘死去(享年85) | 「島津家正統系図」義弘 | |
元和6庚申 4月19日 |
1620 | 息子の北郷三久が死去(享年48) | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「三久」 | |
寛永12乙亥 10月5日 |
1635 | 死去(場所不明) 法名「玄室妙通大姉」 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「忠孝」 |