肝付良兼女(肝付兼亮室 後 肝付兼護室)

生没年未詳

<略歴>
肝付良兼の次女。父・肝付良兼が早世、その時既に兄が夭折し、姉も他家に嫁いでいたために、祖母・島津御南と母・伊東高城の談合によって叔父・肝付兼亮に嫁いだ。肝付家の家督相続をスムーズに行うための方策と考えられる。
ところが、兼亮との仲はうまく行かなかったらしく、兼亮が島津家との和平を白紙に戻す意志を持っていたことも相まって、祖母と母によって兼亮とは離婚させられ、別の叔父・肝付兼護(兼道)と再婚。しかし、兼護との中も不和だったために肝付家の家臣団によって離婚させられ、母の実家である伊東家に引き取られた。しかし、この時既に伊東家は日向から逃亡していたため疑問が残る。伊東家の残留家臣に引き取られた物か。その後の行方は不明。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・肝付良兼、母・伊東義祐長女(高城) 「旧記雑録」家わけ2肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」15
元亀2
7月31日
1571 父・肝付良兼死去(享年37歳・33歳説も) 「旧記雑録」家わけ2肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」15
元亀2頃 肝付兼続の五男・兼亮(14歳)と結婚
兼亮は叔父に当たる
「旧記雑録」家わけ2肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」15
天正2頃 1574 夫・兼亮との不和が深まる 「旧記雑録」家わけ2肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」14
天正3
11月
1575 兼亮と離縁、兼亮は領地より放逐される
叔父に当たる肝付兼続七男・兼道(兼護)(15歳)と再婚
「旧記雑録」家わけ2肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」15
天正4
〜天正8
1576〜
1580
この頃、母・高城が実家の伊東家に引き取られる 「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」19
天正8 1580 兼護と不和のため離婚、母の実家である伊東家に引き渡される 「旧記雑録」家わけ2肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」19

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