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川村秀政女(島津家久側室)

生没年未詳

<略歴>
島津家久との間に寛永4年に十二男、寛永6年に十五男を産む。少なくとも万治2(1659)年までは健在だったと思われる。
川村氏の系統不明。(『「さつま」の姓氏』)。「諸家系図文書4 藤原姓鎌田氏族略系図」(『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺』伊地知季安史料集3所収)によると、兄弟の伝左衛門は鎌田政重の次女と結婚して婿養子となり「鎌田豊前守政○」と名乗ったが、島津家久が寛永15年に病死したときに跡を追って殉死したという人物である。つまり鎌田政重女と川村秀政女は義兄弟でありかつ島津家久の側室同志という複雑な関係にあったこととなる。

このHPの採取方針から外れるが、島津家久側室と言うことで特別に記載。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
寛永4丁卯
5月25日
1627 家久の十二男・長千代(桂忠能養子→慶安2年に島津常久養子、後の島津忠心(忠朝))を出産 「島津氏正統系図」家久
「諸氏系譜」歳久 忠朝
寛永6己巳
7月4日
1629 家久の十五男(樺山久辰養子・後の樺山久尚)を出産 「島津氏正統系図」家久
「諸氏系譜」樺山氏 久尚
万治2 1659 この頃までに化粧料200石を賜る 「旧記雑録」追録1 859「鹿府万治高帳」

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