河東氏女

生年未詳〜慶長4(1599年)9月21日<享年不明>

<略歴>
永禄5年頃、島津義久の後妻となった種子島時尭女に同行した女中の1人。その後、豊臣秀吉の下に人質となった島津亀寿に引き続き仕えて勲功著しく、島津義久から褒賞を賜った。その領地は後に養子に相続されたところから、一生独身であったと思われる。
「伊地知季安史料集 諸家系図文書」所収「種子島善左衛門家系図」によると、河東氏は種子島家の分家の一つ。彼女には兄・時適がいたが子孫がなかったため、彼女が取った養子が河東氏を嗣いだ。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・種子島(河東)時近 母不詳 種子島善左衛門家系図(「諸家系図文書113)
永禄5?
1月21日
1562? 島津義久の後室となった種子島時尭女に同行し、お付き女中となる 「種子島家譜」時尭
天正15
6月
1587 島津亀寿に同行し、上洛 種子島善左衛門家系図(「諸家系図文書113)
天正18 1590 再び上洛
以後、島津亀寿付きとして貢献する
種子島善左衛門家系図(「諸家系図文書113)
(年度不明) 義久室に使えた功績により義久から采地300斛を与えられる 「種子島家譜」時尭
島津亀寿に使えた功績により300石を与えられる 種子島善左衛門家系図(「諸家系図文書113)
(年度不明) 古市長門守次男(古市土佐守時広)を養子とし、義久からもらった領地300斛を相続させる 「種子島家譜」時尭
慶長4
9月21日
1599 死去 種子島善左衛門家系図(「諸家系図文書113)

種子島善左衛門家系図(「諸家系図文書113)では「最上長門守次男」とされる。

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