樺山於萬(樺山久増女)

慶長4(1599)年〜明暦3(1657)年丁酉8月21日<享年59歳>

<略歴>
樺山家の分家・樺山久増の長女。島津義久の上臈役を務めた功績により、晩年になって50石の新領地と家屋敷を与えられたという。後に甥の久明を養子としてその領地と屋敷を譲ったところから見て、一生独身であったと思われる。

ところで、島津義久は慶長16年に没しており、その時まだ12歳だった彼女が上臈役であったというのは非常に考えづらい。実際は義久死後も義久の娘である島津亀寿に仕えて上臈役となり、それらの功績に対して亀寿の養子である島津光久が恩賞を与えたというのが真実ではなかろうか。
しかし、似たような経歴と思われる伊集院久光女に対する褒賞が島津義久・亀寿親子と敵対関係にあった島津忠恒(家久)からの物であると言うことと考え合わせると、なお一考の余地があると思われる。後考を期す。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
慶長4 1599 誕生 父・樺山久増、母・東郷新助女 「諸氏系譜」樺山氏 久如、久増長女
(年度不明) 島津義久の元に上がり、上臈役となる 「諸氏系譜」樺山氏 久増長女
(年度不明) 50斛の新恩地と屋敷を拝領する 「諸氏系譜」樺山氏 久増長女
明暦3
8月21日
1657 59 死去 法号「盛陰妙昌大姉」 「諸氏系譜」樺山氏 久増長女

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