伊集院久光女(町田久則後妻)
天正18(1590)年〜天和元(1681)年7月26日<享年90歳>
<略歴>
伊集院分家・久光の娘で、伊集院久武の妹。米良権之助女の死後に町田久則の後妻となったと思われ、次男・忠饒の養育に当たった。
彼女はもともと島津義久・島津亀寿親子に仕える女中であり、その功績から恩賞として領地をもらった。後に忠饒はその領地を相続し、伊集院姓を名乗るようになった。
島津亀寿に仕えながら、その不倶戴天の敵とも言える島津忠恒(家久)から褒賞をもらうなど、経歴には謎がある。ちなみに夫・町田久則は島津亀寿に近かった家老・平田増宗の遺児が琉球に逃亡していたのを暗殺した形跡があるという(「旧記雑録後編」5−715)。
類似した経歴の女性として樺山於萬も参照されたし。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
天正18 | 1590 | 1 | 誕生 父・伊集院久光 母・平田石見女 | 「諸氏系譜」伊集院氏 久光女 |
(年度不明 文禄3年頃?) |
1594 | 5 | 島津義久・島津亀寿の女中となる | 「諸氏系譜」町田氏 忠饒 |
兄・久武と共に島津亀寿付きとなる | 「諸氏系譜」伊集院氏 久光女 | |||
(年度不明 慶長16年頃) |
1611 | 22 | 島津亀寿が島津家久と離別、国分城へ隠居 久光女も亀寿に同行し国分城へ移る |
「諸氏系譜」伊集院氏 久光女 |
(年度不明) | 奥仕えの功績に対して島津家久より新恩地60斛をもらう | 「諸氏系譜」町田氏 忠饒 | ||
(年度不明 元和8以降〜) |
1622〜 | 33〜 | 町田久則の後妻となる | 「諸氏系譜」町田氏 忠饒 「諸氏系譜」伊集院氏 久光女 |
延宝4 11月10日 |
1676 | 85 | 夫・町田久則死去(享年未詳) | 「本藩人物誌」町田久則 |
天和元 7月26日 |
1681 | 90 | 死去 法号「心慶妙芳大姉」 | 「諸氏系譜」伊集院氏 久光女 |