伊東祐元<祐光?祐充?>女(北郷久通室、伊東義祐婚約者?)

生没年未詳

<略歴>
天文頃の女性。北郷本家8代・忠相の長女「中門」と伊東祐元の間の娘。
「諸氏系譜」北郷氏によると、両親の離婚のため母と共に北郷家に戻り、成長後、従兄弟に当たる北郷久通の妻となって久堯を生んだとされる。
ところが、伊東家側の記録「日向記」によると「彼女は元々伊東義祐の妻となる予定だったが、義祐の母で彼女の祖母に当たる福永氏女が彼女を嫌ったために婚約は破棄され、それを恨んで自害した」という
政略結婚で振り回された女性について、氏族によって全く違う経歴が伝わっているのは相良亀徳にも通じる共通点がある。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明
大永5年以降)
1525〜 誕生。父・伊東祐元 母・北郷忠相長女(中門) 「諸氏系譜」北郷氏 忠相長女娘
天文2
8月28日
1533 父・伊東祐充が都於郡田中にて急逝<享年24歳> 「日向記」4−9
(年度不明) 北郷小四郎久通と結婚 「諸氏系譜」北郷氏 忠相長女娘
(年度不明) 長男・久堯を生む 「諸氏系譜」北郷氏 久堯

父・伊東祐元は祐光の間違いと考えられる。
伊東祐光(祐充、1510〜1533)は伊東尹祐の次男。尹祐には側室中村氏との間に長男がいたが、次の側室・福永氏との間に祐光が生まれると祐光を嫡男とし、中村氏の産んだ長男を排斥しようとしたため、それをいさめようとする家老達が「綾の乱」を起こすなど混乱の元となった。祐光自身も庄内三股の戦いで北郷氏・北原氏の連合軍に敗れ、それに気落ちしたのか天文2年に早世してしまった。(『地域別日本の名族(12)』「伊東氏」(新人物往来社)、『戦国大名閨閥事典』「伊東氏」(新人物往来社))

伊東家側の史料である「日向記」による伊東祐充の婚姻関係は、「諸氏系譜」北郷氏とはズレがあり、しかも伝えている内容も異なる。以下「日向記」による伊東祐充長女の年譜を併載する。

年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生。父・伊東祐充 母・北郷忠相女 「日向記」4−5
(年度不明) 叔父に当たる伊東祐清(後の伊東義祐)と婚約 「日向記」4−5
(年度不明) 母が早世
父・祐充が北郷家の別の女性と再婚する
「日向記」4−5
(年度不明) 異母妹(中門)誕生 「日向記」4−5
天文2
8月28日
1533 父・伊東祐充が都於郡田中にて急逝<享年24歳> 「日向記」4−9
(年度不明
天文7以前)
1538 祖母・福永氏女に嫌われたことから伊東義祐との婚約が破棄となる
その後疱瘡に罹患し、食を断って自害
「日向記」4−17
(年度不明) 伊東祐充嫡女の祟り鎮めのために都於郡坂に若宮権現を建立 「日向記」4−17

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