北郷時久女(比志島義智元室、外城)
生没年未詳
<略歴>
島津家御一門衆でも最も力のあった北郷家の出身。比志島義智と結婚するが、後に不和となって離婚し、実家の北郷家に身を寄せて都城に住んだ。庄内の乱の時に夫・比志島義智は伊集院忠真に付いたが実家の北郷家は島津忠恒側に付いた。これが離婚の原因になったのではと推測される。
通称「外城」と呼ばれていた(「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏)。
ちなみに彼女は島津義弘長女・島津御屋地の異父妹に当たる。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生。父・北郷時久、母・北郷忠孝女 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 | ||
(年度不明) | 比志島義智※と結婚 | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 | ||
(年度不明) | 義智と不和となり離婚、実家のある都城へ帰る | 「旧記雑録」諸氏系譜2北郷氏「時久」 |
※五味克夫氏の指摘によると、比志島義智は「庄内軍記」所収の伊集院氏系図によると「比志島家系図(「旧記雑録」諸氏系譜3 比志島氏系図及文書)」にみえる「比志島義基」と同一人物となる。しかし、比志島義基は「本藩人物志」では「国賊伝」に入っておらず、しかも比志島義弘の実子とされ、慶長8年8/21に66歳で無事生涯を全うしているなど、この説には疑問点もある。
五味克夫氏説に依れば、義智は伊集院忠棟の実弟。後に比志島義弘(永正4〜天文14)の養子となったが、庄内の乱では甥の伊集院忠真に味方した。但し、義智の子息である義興(永禄4〜慶長4)、北原兼茂(比志島義智次男、永禄9〜寛永17)は島津忠恒側に付いた。(参考文献→「『日向記』と『旧記雑録』、真幸院領主北原氏のその後」五味克夫『宮崎県史叢書』「日向記」しおり 平成11/3 第3回)
比志島氏は清和源氏末裔を称し、島津義久・家久の家老を勤めた国貞らを輩出した名族だが、後に謎の失脚をした。