土持利綱女(川上久通室)

生没年未詳

<略歴>
土持若狭守利綱なる武将の娘で、当初川上忠眞の三男である久通を婿養子とした。が、久通の兄・久惟が関ヶ原の合戦で戦死したために夫の久通は川上家に戻ってしまった。しかし、その後も離婚することなく久通について行った模様。
土持氏は日向国北部の有力戦国大名だったが耳川の戦い(高城川の戦い)の折りに大友宗麟の攻撃で滅亡している。土持利綱はこの土持氏の分家の子孫に当たる。祖父・土持政綱は島津勝久の家老を勤めていたが、島津貴久の側に付いたために島津実久により自害に追い込まれている。父・土持若狭守(名前不明)は上木貞時女(島津尚久・島津義久先室の母)に使えていた。(「本藩人物志」)


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 川上久通を婿養子とする 「諸氏系譜」川上氏 久通
(年度不明) 男子を出産(後に土持利綱養子) 「諸氏系譜」川上氏 久通
慶長5
9月15日
1600 久通の兄・久惟が関ヶ原で戦死する(享年25歳) 「諸氏系譜」川上氏 久惟
慶長7 1602 久通との間に久延を出産 「諸氏系譜」川上氏 久延
慶長17 1612 久通との間に久辰を出産 「諸氏系譜」川上氏 久辰

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