飛松久利女(伊集院久利女、川上範久室 後 市来家親室)
生没年未詳
<略歴>
天文〜天正頃の女性。川上範久に嫁ぎ、一子・久晴を産んだ。しかし、夫・範久は天正6年に戦死。その後市来家親と再婚した。
実家の飛松家は「冨松」とも書き伊集院忠国の十五男の子孫。祖父・久友は天文7(1538)年12月28日に加世田城攻めで戦死したという(「本藩人物志」冨松左京亮久友)。父・久利の代に島津義久の命で伊集院に復姓した。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・飛松(伊集院)久利 母・鮫島宗月三女 | 「諸氏系譜」伊集院氏 久利長女 | ||
永禄8 | 1565 | 川上範久との間に久晴を産む | 「諸氏系譜」川上氏 久晴 | |
天正6 | 1580 | 夫・範久が戦死(享年26) | 「諸氏系譜」川上氏 範久 | |
(年度不明) | 市来家親と再婚 | 「諸氏系譜」伊集院氏 久利長女 | ||
天正18 6月15日 |
1590 | 夫・市来家親死去(享年未詳) | 「本藩人物志」市来家親 |