鮫島宗月女(伊集院久利室)

生没年未詳

<略歴>
天文〜永禄頃の女性。伊集院家分家・飛松流の久利に嫁ぎ2女2男を儲けた。
実家の鮫島氏は元々駿河国の出身で、源頼朝に仕えて功績があり、領地のある薩摩に下向して土着した一族という(「本藩人物志」)。父の鮫島宗月は正しくは「鮫島土佐守宗豊隻月」。島津忠良の家老だった人物。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・鮫島宗月 母不明
三女であった
「諸氏系譜」伊集院氏 久利長女(伊集院氏支流飛松系図)
(年度不明) 長女(川上範久室 後 市来家親室)を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久利長女(伊集院氏支流飛松系図)
(年度不明) 次女(伊地知重正(島津豊後守家臣)室)を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久利次女(伊集院氏支流飛松系図)
永禄2 1559 長男・長松(後 伊集院久朝)を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久朝(伊集院氏支流飛松系図)
(年度不明) 次男・久行(後 春成主殿養子)を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久行(伊集院氏支流飛松系図)
慶長5 1600 長男・久朝、関ヶ原の合戦の帰国途上、豊後沖で黒田如水の水軍と交戦し戦死 「諸氏系譜」伊集院氏 久朝(伊集院氏支流飛松系図)

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