高野山と島津。(上杉謙信廟)

武田信玄と信濃の領有を巡って川中島で争い、またたびたび関東に出兵して小田原北条氏と争った上杉謙信の名前を知らない人は少ないとは思うが、生涯非婚を通し、天下統一には関心がなかったという謎の多い戦国武将でもある。

さて、上杉謙信は天文22年(1553年)、永禄2年(1559年)の2回にわたって上洛を果たしている。これは戦乱の時代、領地を離れることが困難な戦国大名としては珍しいことだった。しかし、この上洛は天皇に拝謁し寺社仏閣を巡ることが目的というもので、いわゆる天下統一を目的とする上洛ではなかった。よく言えば古風で欲がない、悪く言えば時代遅れの武将だったのであろう。まあ、そういう無欲の武将でなければあの時代に2回も上洛して無事帰国することは難しかったと思われるが。

永禄2年の上洛の際、謙信は念願だった高野山への登山を果たしている。当時もちろん南海電車はなく、電車でもなかなか大変な高野山を歩いて登ったというのだから、如何に謙信の信仰心というのが電波がかっ…じゃない(^^;)、深かったことが伺えよう。ちなみに島津義久は天正18年に一度登山しているが、義弘の方は石碑を寄贈しただけで行ったことはないようだ…。


 上杉謙信廟(遠景)
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看板が立っているので、まず見落とすことはないかと。
奥の院では数少ない屋形作りの墓です。建立は江戸時代初期と推定され、重要文化財に指定されています。

足場が余りよろしくないので、近寄りたい方はハイヒールじゃない方が無難です。

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